記事一覧

最終日

結局最後まで暑かった台風直撃した日が一番過ごしやすかったというのはどういうことなのか...

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8日目

猛暑...

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7日目

まさか1日に2度も生命の危機を感じることになろうとは...

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6日目

はいはい暑い暑い...

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5日目

ひたすら暑いド鉄板...

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4日目

台風直撃...

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3日目

アクシデントに屈せず...

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2日目

暑い...

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1日目

真夏日一歩手前暑いのだけは勘弁...

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九州へ

今年もこの時期がやってきましたか。2010年2011年2012年2013年...

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予告編

毎年恒例の遠征の時期になったので、城たび兵庫についてはしばし休載します。次回は、私も予想していなかったこの場面からの再開になります。あれ~これってもしかして...

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yama3

先行公開山であり城でもある...

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生野城 ~山名氏が築いた境目の城~

生野山城・生野古城とも。応永三四年(1427)、四職の一人である播磨守護赤松満祐が将軍足利義持に反抗して兵を挙げた際、将軍はその討伐を但馬の守護職である山名時熈に命じます。時熈は兵を率いて生野に来て、標高600mの山上に城を築き、満祐討伐に備えました。「銀山日記」には「ここ二十間(約36m)四方の居所を構え、尾崎尾崎に物見をつけ、厳重の要害なり」と記されており、山上から尾根上にかけて建物を作り厳重な陣を築...

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生野代官所 ~天領陣屋~

生野平城・生野陣屋とも。生野奉行(いくのぶぎょう)は、織田信長、豊臣秀吉および江戸幕府により置かれ、生野銀山を管理した。1716年(享保元年)、生野銀山の産出量減少のため、生野代官(いくのだいかん)に組織変更された。奉行所・代官所は、現在の兵庫県朝来市生野町口銀谷の生野小学校付近にあった。江戸時代の生野奉行は11代、代官に改組後は28人が勤めた。代官には旗本が任命され、生野銀山の後背地となっていた但馬国、...

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生野銀山は後回しにします

順番で行くと次は生野銀山なのですが、写真の量が無駄に多いので選別作業からして時間がかかりそうです。本年2014年の遠征の時期も近づいてきましたので、それまでに少しでも在庫処理するために時間のかかりそうなところは後回しにすることにします。...

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yama2

先行公開...

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小野口番所 ~鉱山監視~

生野銀山へ入る直前に、説明板を発見。走行中視界の端に入っただけでも反応してしまうこの体質を何とかしてほしいと最近思う。「生野代官所はここに番所を設けて大谷川一帯の鉱石採掘を取り締まるとともに、蜜搬出の監視等にあたらせた」(説明板参照)...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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