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記事一覧

青垣峠

柏原を後にした私の次なる目的地は生野。生野といえば銀山。あとハヤシライス食べるぞ。突然ですが、私は食べ物に関してのこだわりは全くないので、グルメ関係のことにはめっきり関心がありません。日本全国を旅しているのにグルメ関係の記事がほぼ皆無なのはそういったわけで。しいて言えば好き嫌いが全くないので、どんな食事でも残さず食べることがモットーといえばモットーといえるかも。そんな私ですが、「地元の名物を決して...

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yama

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柏原城下町散策

城館探訪以外の諸々、柏原城下町編。八幡山城の探索と一部時間が前後しますが、まとめて掲載しておきます。 八幡神社無料駐車場での先代プリ号。日陰部分の駐車スペースがちょうど1台分だけ空いたところに入れ違いで到着。この後探索終了までここにある車は1台も動いていなかったことを考えると、実にいいタイミングでした。...

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八幡山城 ~氷上郡侵攻の前線基地~

柏原の街の中央に伸びる丘陵の先端頂部にある柏原八幡神社。南北朝期に南朝の荻野安芸守が足利尊氏に抗して築いた八幡山砦は、この神社から背後に登る山地の上部までを砦域とした単純な連郭式の山城だったと考えられます。のちに八上城主波多野氏の家臣小林平左衛門重範が、明智光秀により沢田城を落とされ敗走後、最後に討死したのがこの八幡山城であると伝わります。この時の八幡山城は、南北朝期の戦乱で焼失した八幡山砦に手を...

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柏原陣屋 ~織田家統治の地~

慶長3年(1598年)織田信長の弟信包が3万6千石で入り、3代続くが慶安3年(1650年)嗣子なく断絶した。以後45年の長きにわたり天領となった。元禄8年(1695年)信長の次男信雄の孫の宇陀松山藩主信休がお家騒動の咎により領地を半減され2万石で入る。移封より19年経た正徳3年(1713年)幕府より陣屋を築く事が許された。以後10代にわたり織田氏が治め、明治にいたる。(wiki参照)柏原歴史民俗資料館の真向かいに陣屋はあります。立...

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浅間隠山

浅間隠山(あさまかくしやま)標高1757m日本二百名山ぐんま百名山中之条や東吾妻方面から見ると浅間山を隠してしまうことから名づけられた山。二百名山なのでいつもより詳細に掲載。...

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柏原歴史民俗資料館

AM9:25。やってきました柏原へ。ちなみにこの「柏原」、みなさんちゃんと読めますか?「かしわばら」でも「かしわら」「かしはら」でもなく「かいばら」ですからね。私?調べるまで読めませんでしたよ。山に囲まれた歴史ある街並みといった感じです。狭い街路が多いのも旧城下町らしいところ。ただいかんせん暑いのでそんなに感慨に耽ってばかりもいられません。...

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水分れ

春日町黒井から、次なる目的地である柏原へ向かう途中。特徴的な橋があった。水分れといういかにも由来ありげな交差点名。説明板もあったので、車を停車し確認してみることにします。...

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二ツ岳 雌岳

真夏のハイキング。やっぱりこのくらいの標高の山なら登るのは冬場に限るなあと思った次第。...

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黒井下屋敷 ~春日局出生の地~

*黒井城編がまだ未完ですが、諸事情により先に進みます。黒井城から下山後、続いてすぐ近くにある興禅寺へ向かいます。この興禅寺が、かつての黒井城の下屋敷(下館)にあたります。興禅寺前にある案内板。拡大。黒井城に入城した赤井直正は土豪の奥村氏の屋敷跡を改修、下館とした。黒井城は直正が病死した翌年に明智光秀によって落城、光秀は家臣の斎藤利三を城代に置き、禄2万石を与え、下館を陣屋に定めた。ここで、徳川3代...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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