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記事一覧

第42回 「鹿ヶ谷の陰謀」

1177年4月のある夜更け、京・鹿ヶ谷の山荘には、後白河法皇(松田翔太)のもと、成親(吉沢悠)や西光(加藤虎ノ介)など、平清盛(松山ケンイチ)ら平家打倒を企てる不満分子たちが集まった。そこへ招かれた摂津源氏の武士・多田行綱(野仲イサオ)は企てを知り驚くが、西光と成親の説得により平家を撃つことを決意した。一方伊豆では、北条時政(遠藤憲一)が娘・政子(杏)を平家配下の山木兼高へ嫁入りさせることを決めた。政...

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箕輪城まつりが開かれます

明日10月28日(日)に箕輪城まつりが開かれます。...

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芦田小屋 ~地蔵峠への道を抑える~

旧榛名町の城館・その⑮榛名神社の随神門の前から地蔵峠・天狗山方面へ向かう道を少し登ったところに芦田小屋があるという。永禄九年(1566)武田信玄が箕輪城を攻めた時、家臣の芦田幸成が信玄の子・勝頼の軍の兵站として陣屋を置いたためにこの名が付いたといいます。ということで観光客であふれる榛名神社参拝から城館の探索へと切り替えます。もちろんこのどうしようもなくマイナーな城館探訪の方が個人的メイン。時系列的には...

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榛名神社(後編)

前編の続き。御水屋からの階段を登った先にあるのがコレ↓「神門」こちらも神仏習合の名残を残す建造物。ここをくぐれば本殿はすぐそこ。...

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第41回 「賽の目の行方」

1176(安元2)年。平清盛(松山ケンイチ)と後白河法皇(松田翔太)との関係をとりもってきた建春門院滋子(成海璃子)が急死した。今後も後白河法皇との関係を良好に保つため、高倉天皇(千葉雄大)の中宮となった清盛の娘・徳子(二階堂ふみ)が皇子を産むことを願う清盛だが、徳子に懐妊の兆しはなかった。そこへ、不穏な知らせが舞い込む。後白河法皇が、仏門に入っていた2人の息子を都に呼び戻し、高倉天皇の養子にしたという...

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榛名神社(前編)

旧榛名町の城館編の途中ですが、ここで榛名神社の紹介を入れたいと思います。私は全国一ノ宮の巡拝をしているほどなので神社についてもそれなりの関心はある方なのですが、今回この神社を訪れた主の目的はやはり城館探訪。榛名町誌付図を見るに、この神社近辺に2つの城館があるようです。ついでにと言っては失礼ですが、久々に榛名神社にも立ち寄ってみましょう。神社へ登っていく途中にある「一ノ鳥居」神社参道前にある二の鳥居...

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原城 ~斎藤道三の末流~

旧榛名町の城館・その⑭雨堤の砦の東約200mに築かれているのが原城になります。文化財情報システムにも記載のない超マイナー城館かと思いきや、実はこの城、史跡指定を受けているんですね。記事を作成する段になって初めて知りました。原城跡は上室田町字原に中世末期の豪族長壁道観が賓将斎藤半兵衛竜政(斎藤道三の末流)と築いた館城とされています。濠で南北三つに区切られた平郭式の小規模な岸端城です。(高崎市HPより)「平...

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雨堤の砦 ~地衆の築いた狼煙台か~

旧榛名町の城館・その⑬榛名町誌にある城館の項目の先頭に掲載されている砦。旧榛名町の西端、上室田の雨堤地区にある丘陵上に築かれています。すぐ西側は旧倉渕村との境界になります。該当地着。後方の藪に覆われた小丘がそれに当たります。...

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七曲りの砦 ~古墳を取り込む~

旧榛名町の城館・その⑫日輪城・日波の砦とも。基本的に現在掲載中の旧榛名町の城館は文化財情報システムにすら位置の表示がないため、探索時の唯一の資料は榛名町誌に添付されている付図の写しのみ。この図は縮尺が小さいため、明確な目標物(寺社や公民館など)がないと途端に到達難易度が上昇します。資料から読み取るに、この砦は烏川河畔の崖端部分を占地しているようだが・・・ おそらくこのあたりなのだが・・・って、アレ...

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里見館 ~里見義俊の菩提寺~

旧榛名町の城館・その⑪旧榛名町の里見地区。この地は「里見八犬伝」で有名な南総の里見氏の発祥の地になります。里見城の項も参照のこと。さて、中里見町にある光明寺の東側が里見館の址という。光明寺。やはり目標物があると到達が容易でありがたい。新田義重の庶長子(妾腹の長男)・里見義俊(里見氏の開祖)がこの地に館を構え、嘉応2年(1170)の没後は、ここで里見氏の菩提を弔ってきたといいます。...

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第40回 「はかなき歌」

1174年、大輪田泊はついに完成し、清盛(松山ケンイチ)が長年夢みていた宋との貿易が始められた。一門のさらなる発展をめざす清盛は、後白河法皇(松田翔太)と建春門院滋子(成海璃子)を嚴島神社に招き、2人に変わらぬ忠誠を誓う。嚴島神社のように横へ横へと広がることが清盛の目指す世の姿だと聞かされ、いまだ理想の姿を描けない後白河法皇は清盛に先を越されたのではないかと焦る。伊豆では、かつて源義朝につかえた上総常...

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神戸の砦 ~自衛のための武装~

旧榛名町の城館・その⑩三ツ子沢の砦から次の目的地の戸榛名神社へ向かう。この神社境内一帯が神戸の砦の址という。この二つの砦、距離は近いがそれぞれ別の高台の上にあるため、移動には一度谷の下に降りて再び登らないといけません。 狭路の急坂を下る。この道は「旧金井原道」というらしい。...

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三ツ子沢の砦 ~雰囲気は残るが~

旧榛名町の城館・その⑨高崎市三ツ子沢町、諏訪神社の境内になっているところが三ツ子沢砦の址という。遺構はないというが、果たして。諏訪神社。雰囲気のあるところです。東西を沢に挟まれた段丘上に位置しており、要害性はあります。...

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遠北の陣城 ~武田の前衛基地~

旧榛名町の城館・その⑧箕輪城と鷹留城を分断する位置に築かれたのが遠北の陣城です。南600mには高浜砦、東北1.5kmには白岩の砦があります。陣城とは戦場で一時的に設ける拠点で、肥前名護屋城付近に朝鮮出兵のため集結した全国の大名が築いたものが有名。県内では他に八幡平陣城と天久沢陣城を掲載しています。図らずもこれらはみな武田勢の築いたものとなっています。遠北の陣城について城郭大系には「永禄九年、箕輪城攻めの...

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白岩の砦 ~坂東十五番札所~

旧榛名町の城館・その⑦予告通り、旧榛名町の城館編に入ります。旧群馬町編と同様、まとめて一気に在庫処理したいと思います。旧群馬町編では「その②」からの開始でしたが、こちらは「その⑦」からのスタートです。その①からその⑥は里見城・御門城・松山城・御嶽山の砦・雉郷城・高浜砦ということで。ちなみに旧榛名町の最大城郭で現在登城記が途中でストップしている鷹留城については、最後の方で続きを掲載予定です。 さて、今回掲...

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第39回 「兎丸無念」

1171(承安元)年12月。遮那王(のちの義経:神木隆之介)は京・五条大橋の上で、弁慶(かつての鬼若:青木崇高)と鉢合わせする。遮那王を、平家の密偵・禿(かむろ)だと勘違いした弁慶は容赦なく斬りかかる。それをたくみにかわす遮那王との攻防の末、弁慶は目の前の少年がかつて世話をした常盤(武井咲)の子・牛若だと気づき、思わず抱きかかえた。大輪田の泊(神戸港)の改修をおこなう平清盛(松山ケンイチ)は、宋国の使者...

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天幕城 ~蓮の城~

2010年1月、道元屋敷を見学後に向かったのがこの城。場所は旧赤堀町・現伊勢崎市の磯町。「天幕城趾あかぼり蓮園」として整備されているところですが、訪問時にはその情報はなし。 真冬のため日が落ちるのが早い。道路地図も見にくくなってくる中、途中案内看板もあったので何とか到着。写真の大きな鉄塔を目印にすることができそう。川を渡るともう城域内です。この蕨沢川の支流と本流を城の背後を守る堀としています。...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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