記事一覧

古谷館 ~幻の勝頼居館~

小谷館(城郭大系)・古屋館とも。一般的には潜龍院跡の名で知られています。この日の記事でちょろっと書いて以来在庫の山に埋もれていましたが、ようやく掲載が追いついてきました。未紹介物件はまだ県内だけでも消化するのに数年はかかる数が残っているのですが、なんだかんだいって在庫の数は確実に減ってきています。新規登城のない夏の間にもうひと踏ん張り。上記の記事で掲載した写真。潜龍院跡から見上げた岩櫃山です。今回...

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千石墻の砦(先行公開)

千石墻の砦。ほとんどの城郭研究家や群馬をフィールドとする中世城館マニアにも、名前すら知られていないこの砦。当然ながらネット上でこの砦を攻略した記録は皆無。そんな中、某日上野村某所で見つけた説明板。何と立派な説明板か!この説明板だけで1.5★以上の評価を差し上げたいところ。解説も詳しく大変素晴らしいのですが、注目は描かれている図。...

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第33回 「清盛、五十の宴」

1167(仁安2)年、乙前(祇園女御:松田聖子)は京にとどまり、後白河上皇(松田翔太)に今様の稽古をつける日々を送っていた。後白河上皇は乙前に京にきた理由と清盛(松山ケンイチ)との関係を聞くが乙前はあいまいにしか答えなかった。六波羅の清盛邸では清盛に、重盛(窪田正孝)らが、朝議で音戸の瀬戸の開削が決定したことを報告した。朝議には宗盛(石黒英雄)や時忠(森田剛)も参加していた。清盛はわずか百日で太政大臣...

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茶臼山城③ ~ダイ・ハード2~

その②北東帯郭より見た本郭塁壁。...

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茶臼山城② ~飽間太郎と源頼朝~

その①この期に及んで勾配が急激に変わるなんて聞いてないぞ、と思わず心の中でうめき声が出る。地面の土も、これまでの茶色っぽい色から黒い土へと変質。やたらふかふかして歩きづらい。大丈夫かコレ。僅かに踏み跡らしきものが残っていたので、それを頼りに上へ。直登も不可能なほどの急勾配なので踏み跡はジグザグに残っています。...

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茶臼山城① ~秋間地域最奥の詰城~

碓氷川の支流・秋間川流域に九ヶ所の堡塁を構えた地域城のことを秋間地域城と呼びます。城郭大系の記述によると、その九ヶ所の堡塁とは以下の城砦を指します。内出城:核堡茶臼山城:最奥の詰城般若沢城:北の烏川谷の備え小屋城(伊豆村城):南の九十九川谷の備え辻城・蔵人城:城域入口の抑え礼応寺砦・八貝戸砦:背後支援茗荷沢砦:雉ヶ尾峠の守備 今回はその中でもいきなり最難関である最奥の詰城、茶臼山城の攻城記を掲載し...

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第32回 「百日の太政大臣」

1165年、清盛(松山ケンイチ)は、娘婿である摂政・藤原基実(忠通の子:村杉蝉之介)の後ろ盾によって、武士として初めて大納言にのぼった。この前代未聞の出世は公卿たちの反発を買っていた。大臣たちが列席する朝議で、清盛は都近くの港・大輪田泊を改修することを提案するが、藤原摂関家の左大臣・基房(細川茂樹)は話を聞こうとしない。朝議の後で基実は清盛を気づかうが、そんな基実の態度を弟である基房や、兼実(相島一之...

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八日市場城 ~総社領主の仮寓~

慶長6年(1601)、上野国総社に1万石を与えられた秋元長朝は総社長尾氏の居城であった蒼海城へ入ります。しかし蒼海城は地形的な制約が多い古い縄張りで、城域も広く荒廃していたため、新たに新城(総社城)を築城することを決意します。そして総社城が完成するまでの8年間、仮の居城としたのが八日市場城です。総社神社の北東にある昌楽寺。このあたり一帯がかつての八日市場城の跡地になります。...

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後期高田館 ~高田小次郎参陣~

上毛三山の一つ、妙義山!九州大分の耶馬渓・四国香川の寒霞渓と並び日本三大奇勝に数えられている国の名勝。日本百景にも選定されているこの山の麓に後期高田館はあります。...

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棚下砦② ~断崖絶壁~

その①標柱を後にし本郭を西へ進むと、奥に光の橋が見えます。あちら側には断崖しかないはずですが、行ってみましょう。...

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棚下砦① ~南雲御殿遺跡~

不動山城・猫城などと同じく、スーツに革靴で旧赤城村の城めぐりを行った時の記録。当時棚下砦の攻城記はネット上では皆無で、唯一あった情報は赤城村敎育委員会が1998に発行した南雲御殿遺跡(棚下砦跡)の調査記録。(上記の報告書を実際に読んだわけではなく、ネット上に掲載されていた以下の書評を確認したのみ)「南雲御殿遺跡は、通称・棚下砦跡と呼ばれており、従来より長井坂城跡に伴う城砦跡と考えられております。戦国時...

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真田陣屋 ~悪政、ここに極まれり~

真田氏というと講談で有名な幸村の影響もあってか全国的に人気が高い一族となっています。上州にも真田氏関連の史跡が多く、特に小松姫のエピソードで知られる沼田などは上田・松代に並ぶ真田氏の本拠ともいえるところで、真田人気は高いと思われます。しかしそんな真田一族の中にも、悪政で名高い領主がいました。その領主は真田伊賀守信利。真田信之の直系の孫にあたります。信利は10万石の松代藩に対抗するため、寛文2年(1662...

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天神城② ~沼田氏悲劇のお家騒勤~

その①主郭への最後の登り。雪の下の地面の状態が全く分からないので慎重に進まざるを得ません。道は右側へ傾斜しているので転落防止のためできるだけ左側を進みたいが・・・...

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天神城① ~雪中行軍~

暑さを忘れるため、大昔の登城記を発掘。天神城は沼田氏12代万鬼斎顕奉の隠居城。沿革は次回に記載。場所は川場村天神、薄根川と溝又川の合流地点にあり、三方を断崖に囲まれた丘陵の先端に位置します。この日は首都圏で積雪があったとニュースがあった日。南関東の海沿いですら雪が積もったというのに自分の住んでいるところは例によって全く雪が積もらないので、同じ感覚で無防備のまま北毛地区へ進攻したらこの状態。同じ県内で...

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第31回 「伊豆の流人」

1164年、伊豆・蛭ケ小島(ひるがこじま)。そこに18歳に成長した源義朝の子・頼朝(岡田将生)がいた。5年前、清盛(松山ケンイチ)によって流罪となった頼朝はここに流され、家人の藤九郎(塚本高史)とともにひっそり暮らし、地元の豪族・伊東祐親(すけちか・峰竜太)は頼朝を厳しく監視していた。京の清盛は、日宋貿易実現に向け、朝廷での力をのばして港湾の整備、瀬戸内海の開削などに乗り出そうとしていた。その年の11月、...

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下善地砦 ~文字消滅寸前~

箕輪城の外堡群の一つ、下善地砦。箕郷町善地、「下善地」のバス停前。このあたりが下善地砦の跡地となります。道路の反対側には下善地集会所があり、城館レーダーが反応しそうな場所です。規模は100m×130mほどで、堀と土居があったといいます(箕郷町誌)。...

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白川砦 ~守備兵玉砕~

箕輪城の南を守る出城の一つである白川砦。砦将は長野十六槍の一人・白川五郎満勝。箕郷町白川にある白川神社周辺が砦址となります。このあたりの道は入り組んでおり、ナビなし・詳細な道路地図なしの自分は勘のみを頼りにして辿り着きました。ナビがあってもこの神社が表示されるかは不明ですが。...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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