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記事一覧

鷹留城① ~長野氏要の城~

鷹留城は長野業尚(尚業)が明応年間(1492~1500)に築城。箕輪城が築かれるまで長野氏の本城であったともされ、箕輪城築城後も最有力支城として機能しました。自分が本格的に城巡りを始めた最初期に訪問したお城の一つです。場所は少々わかりにくいのですが、有名サイト・埋もれた古城に掲載されているこの案内図を参照するのがわかりやすいでしょう。当時はまだ文化財情報システムの存在を知らなかったので、この案内図だけを頼...

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雉郷城③ ~今度こそ攻略~

主郭へと続く道。大系の記述ではこの城は山頂部と山腹部があり、両者の高度差は50mに及ぶとあります。...

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雉郷城② ~リベンジの巻~

文化財情報システムの地図にまんまと騙され、以前雉郷城として掲載した場所が実は一つ隣の全く関係ない山であったということが判明。指摘を受け、こちらの記事にも書いている通り急遽正しい場所を再調査しました。早く掲載しなければと思いつつも在庫の山が腐るほどあり、昔の登城記から順番に消化していくといつまで経ってもこの城の順番が回ってきません。誤りの場所がいつまでも掲載されているのはよろしくないので、最近の登城...

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坂本城③ ~謎の堅城~

本郭最高地点の南側一段下に腰郭が見えます。降りてみましょう。...

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坂本城② ~めがね橋確認~

碓氷湖ダムの南の山頂に築かれている。文献はまったく得られない。大堀切で東西に分けられた一城別郭の城で、東の本郭は六〇mx一五mの本丸とその西下から南下の五段の腰郭からなり、本丸北縁に土居を盛って北風を防ぐ。西の二の丸にも北縁に土居があり、さらに西に二筋の堀切で断たれた二小郭が続く。大堀切の南端は広がって七〇mx二五mの弓形郭となる。南の鞍部は掘り切られている。(城郭大系参照)上記城郭大系の記述およ...

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坂本城① ~炎天下での挑戦~

冬場ということで、群馬では山城攻略最適の日々が続いています。自分もセオリー通り未整備の山城はこの季節にのみ攻城することにしていますが、3年ほど前の城攻めが楽しくてしょうがなかった頃、あろうことか真夏(正確には6月の中旬だが、真夏並みの暑さの日)に未整備の険しい山城に突入したことがあります。その城は坂本城(別名城峯城)。城郭大系には縄張図付きで掲載されているものの、当時ネット上には登城記は皆無。在庫の...

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馬場城 ~あやしい階段!~

奥平氏の居城・奥平城の詰城の役割を果たした馬場城。この城への道のりは、少々説明しづらいところです。奥平城からr171を北上し、約1kmで右手にそれっぽい山が見えるので、あとは適当に近づきましょうとしか言えません。文化財情報システムの地図を参照のこと。県道から脇道へ入り、さらに山の中へ続く林道へ。うわぁ・・・って感じの道。...

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天狗山砦② ~直降そして標柱消滅!~

突然現れた主郭。嬉しくて涙が出そうでした。いや、それほどでもないけど。主郭の塁壁。下の段との高低差は数mほど。さっきまでのわけのわからない尾根地形と異なり、このあたりはところどころ削平された形跡があります。...

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天狗山砦① ~真田氏築城~

三ノ倉城→権田城→大明神山砦と旧倉渕村の城めぐりを行い、その日ラストに訪れた砦。これ一つだけなぜか掲載していなかったので、ここで消化。そもそもこの日これらの城を探訪しようと思ったのは、こちらのページでそれぞれ城の表示物が設置されていることを確認し、さらに天狗山砦の標柱がかなりヤバそうな具合であったことに気がついたからです(上記サイトは2008~09年ごろには大変参考にさせてもらいました)。表示物がある城は...

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智明坊館 ~標柱発見!~

文化財情報システムを検索していて、たまたま発見した城館。城郭大系には記載はなし。それどころかネットで検索しても情報がなく沿革不明。当然これまで誰一人として紹介している人はおらず。じゃあ自分が第1号になろうということで探訪へ。場所は渋川市との境界近く。小倉交差点の西側400mほどのところです。当然なんの表示物もないと思っていたら…...

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大道寺政繁館 ~悔しの汗~

安中忠政が築城し、後に武田・北条が重要拠点として統治した松井田城。北条氏がこの地まで進出してきたのは戦国末期に近く、それまでの北条流築城術の最終進化形をもってこの城を大改修し、上州最大級の山城に仕立て上げました。そしてこの最重要拠点を任されたのが、北条家の宿老・大道寺政繁です。wikiの松井田城のページ最後に、以下の記述があります。・・・現在、大道寺政繁の居館跡には、政繁の菩提寺たる補陀寺が存在する。...

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新土塚城 ~まだこれほどの城が・・・~

たまには最近攻略した城の紹介、ということで、2011年年末の攻城記録。2011年はそれ以前と比べて攻城数が激減してしまった年ですが、それでも平地居館(☆か★クラスがほとんど)を中心にそこそこ数を積み上げはしました。そんな年の中で印象的だった平地の城がこの新土塚城。大系によると、由良氏の家臣で大胡城代の増田繁政の居城とされています。地元の伝承では、新土肥前守が城主のとき二之宮城主と争って敗れ、城主以下家臣を葬...

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金古城 ~金古家長とは~

大系の記述によると金古家長の城であるといいます。人物についての詳細は不明。(追記:あるいは金子家長のことか。小田原北条氏滅亡後、金子一族の一部が現在の金古地区に土着し、それが地名になったという話もあります。金子氏についてはこちら)場所は旧群馬町の金古内林、吉岡町との境近く。金古1区集会所の北西、川を渡ったあたりが城域になります。...

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植栗城 ~植栗氏の居城~

植栗城は吾妻氏の一派である植栗氏代々の居城で、応仁二年(1468)、植栗安芸守の伯母婿である柳沢直安(柳沢城主)が斎藤行弘(岩櫃城主)に襲われてここに逃れた。吾妻三家のひとつである大野氏(稲荷城)が実権を握り岩櫃城の城主となった時、斉藤氏、植栗氏も一時これに従う。後にいさかいが生じ、大野氏は斎藤憲次(岩下城)に植栗河内守(大系では安房守)元吉を討つように命じるが、斉藤氏と植栗氏は親族の関係であったため...

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松井田西城 ~安中氏初期の本拠~

戦国時代、安中・松井田の両城を拠点とし、最盛期には碓氷郡一帯に支配権が及んだ安中氏。その安中氏が松井田城を築く前に居城としていたのがこの松井田西城と伝わります。いかにも松井田城の西側を守る支城のような位置にありますが、実はこちらの城の方が先なのですね。『上野志』には「(安中忠親が)越後国新発田より長享元年(1487)四月、上野国碓氷郡松井田西城小屋へ引移り住居す」との記述があります。また城郭大系による...

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金山城北の砦 ~八王子丘陵縦走~

前八王子砦とも。八王子丘陵の中央、八王子山に築かれた砦です。その名の通り、金山城の北方を守る砦であったと思われます。八王子丘陵は太田市と桐生市の境に連なっている丘陵地帯で、北西の荒神山から籾山峠を挟み南東の唐沢山まで続いています。基本的に低山のため真冬でもハイキングが楽しめる里山になっています。しかし標高≒比高のため甘く見ると痛い目を見ます。低いなりにハイカー向けのれっきとした山なので、山城攻略と...

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茶臼山城② ~新田義重居城説~

その①茶臼山城の沿革については諸説あるところで、新田義重の居城であったとする説も昔からありました。が、城郭大系で山崎一先生はこの説は誤りであるとバッサリ否定。応永年間に寺尾城を拠点とした尹良親王によって築かれたものとしています。尹良親王は宗良親王の第二王子であり、後醍醐天皇の皇孫にあたります。元中3年(1386年)南朝より源朝臣を賜姓(後醍醐源氏)され、征夷大将軍右近衛大将となって各地を転戦するが、応永...

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プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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