記事一覧

根小屋城③ ~信玄の隠し財宝が眠る?~

それでは主郭へ向かいましょう。先ほど水が溜まっていた場所から主郭へ登っていく道がつけられています。 主郭虎口は枡形虎口となっています。石垣を用いていないのにここまで形状が確認できるほど保存状態が良好な枡形は珍しい気がします。...

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根小屋城② ~甲州流縄張り~

前回日没により攻略失敗した根小屋城。日を改めての再登城編です。(前回の様子はこちら→その①)だいぶ以前の登城記なので、細かい点で記憶誤りをしている場合があります。ご了承ください。この日は前回のルートは使わず、南側の山名城から尾根伝いに進んで行くルートを採用。城への分岐点(「根小屋城まで1.1km」の看板が設置)を過ぎ、「水戸黄門と山賊」の看板(山名城その②参照)の先の部分から紹介を始めます。...

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羽根尾城 ~真田幸隆、哀しみと苦悩の吾妻攻略~

はい、タイトルは有名サイト・埋もれた古城からの引用です。天文十年(1541)、武田信虎・村上義清・諏訪頼重らの連合軍に海野平を追われた滋野一族の海野棟綱とその子幸隆(のちに真田幸隆)は、鳥居峠を越えて同族の羽尾幸全入道を頼り、羽根尾城(諸説あり)に落ち延びた(海野合戦)。海野棟綱・幸隆父子は幸全に庇護され、幸隆は羽尾氏の女を妻に娶っている。のちに箕輪城の長野業政に預けられたが、海野平の奪還をめぐって、...

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鎌原城 ~キャベツ畑の先に?~

 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東征中に、海の神の怒りを静めるために愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。(嬬恋村役場HP「嬬恋村の名前の由来」より...

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群馬の城50選マップ

以前攻略城館マップというものを作製したのですが、登録が200城を超えると別ページに移ってしまうことが判明し、以来やる気がそがれて放置していました。...

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引っ越しました

アメブロから引っ越してまいりました。...

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館林城① ~犬将軍の城~

・・・江戸時代に入ると、館林は利根川を押さえる東北方面への要所として、また、徳川綱吉が五代将軍になってからは将軍を輩出した地として重視され、最後の城主秋元氏まで江戸幕府の重鎮を務めた七家の居城として栄えた。かつては総構があり、本丸には三層の天守と二重櫓が一基、御厩曲輪(再築後の南曲輪)にも二基の二重櫓があり威容を誇っていたが、天和3年(1683年)に徳川徳松が急死すると廃藩となり廃城となった。 宝永4年...

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長野原城① ~西吾妻の要衝~

長野原合戦の碑を眺めた後、いよいよこの日メインの長野原城攻略へと取りかかります。岩櫃城の斎藤氏に対抗するために、武田方の真田幸隆が侵攻の重要拠点とした城です。場所は長野原町役場の北側に東西にのびる山塊の上部一体となります。...

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高浜砦 ~箕輪落城の序章~

箕輪城の支城として、長野業政によって築かれたとみられている。永禄九年(1566)の武田信玄の箕輪攻撃は、この砦の奇襲から開始された。那波無理之助宗安率いる250の兵は、夜陰に紛れて雉子ヶ尾峠を越え、雉郷城・里見城の防御線を突破。暁の烏川を越え、明け方に砦へ攻めかかった。おりから砦将匂坂長信は箕輪城にあって不在であり、小勢の砦はたちまちに落ちた。宗安は高浜砦に火を放って東の白岩へ向かい、箕輪から馳せ向かっ...

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第2代トップ画像

もう半月ほど経っていますが、トップの画像を変更しました。ついでにデザインも変更。2代目のトップ画像は能登・七尾城でした。(2010年9月~2011年10月)...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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