記事一覧

発知館 ~発知の苗代桜~

発知館は沼田氏の支族発知氏の居館。発知氏は越後で活躍したとのこと。(城郭大系より)登城時に確認したところ、ネット上での情報は皆無。本日記事を作成するにあたりもう一度検索をかけてみるものの、やはり情報なし。「発知館 城館」で検索すると、以前自分が書いた荘田城の記事がトップでヒットするありさま。ということで、これが初レポートということになりそうです。今度からはこの記事がトップに表示されるようになるんだ...

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後閑城③ ~上信街道を守る要塞~

このブログの左側にブックマークとして載せていますが、埋もれた古城 様、余湖 様、タクジロー 様のページも併せて見ていただくとより理解は深まると思われます。 主郭から見た松井田・妙義方面の景色。下の郭は南郭。...

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後閑城② ~百庚申を祀る~

後閑氏(ごかんし)は、清和源氏新田流とされる氏族。岩松氏の支族ともいう。戦国時代に上野国碓氷郡の後閑城を支配した氏族で、新田景純とその子信純から後閑を称した。先祖を新田義貞の末弟・四郎義重と称する。また『姓氏家系大辞典』(太田亮、1963年)によれば、義一―重兼―兼重―義景―義行―行兼―景純という系譜を伝えるという。ただし義一は新田義貞の子(「新田族譜」)とも里見氏後裔たる大島義政の弟(『上野国志』)ともさ...

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後閑城① ~記憶を辿る城~

幼少の頃、親に連れられて訪れた城があります。その城は芝生がきれいに整備されていて、気持ちよく散策できました。当時は縄張りを見るという概念はありませんでしたが、主郭から全体を見渡してみて、子ども心にもいかにも「お城」らしいと感じたものでした。蛇足ですが、城にそんなに興味のない幼少の頃に抱いていた自分の城に対するイメージは、戦乱の世の城、いわゆる土でできた中世城郭でした。小さいころから近くにあった「城...

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金山城 ~第三の金山城~

金山城と聞いて少し期待した方には申し訳ありませんが、百名城の金山城ではありません。九十九山砦の記事で少しふれた一番マイナーな金山城です。高山党末葉の居城であるとされています。大系だとなぜか縄張図がページ半分以上にでかでかと掲載されていて、メジャー城郭並の扱い。ただし説明は簡素。元亀年間(1570~73)廃城と伝えられる。...

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牧之島城② ~甲州流軍者甚秘の城取~

神社から再び土塁上を南下。というか土塁の上以外は歩けそうにない(笑)...

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牧之島城① ~馬の乗り入れ禁止!~

本日は奇跡的に涼しいので記事を書く気力が復活。今回は甲州流築城術の特徴をよく留めている牧之島城の登城記。突然長野の城にしたのは単なる気まぐれ。少しでも暑さを紛らわせるような写真を求めたかったということもあるか。前身は牧城という城。以下wikiより。...

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山名城② ~水戸黄門と山賊~

山名城(やまなじょう)は、上野国多胡郡(現・群馬県高崎市山名町前城)にあった戦国時代の山城である。別称として前城、寺尾下城ともいわれる。烏川と鏑川に挟まれた片岡丘陵の東南端付近に位置する山城である。東西に続く尾根の一部を堀切で城郭化しており、南北130m・東西450mに広がる。また西側の尾根続きで、城から北東700mには根小屋城が存在する。築城は応永2年(1395年)で、当時尹良親王の拠っていた寺尾城(寺尾中城)...

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山名城① ~六分一殿のふるさと~

高崎市史No.149別名寺尾下城。応仁の乱で西軍を統率したことで有名な山名宗全ですが、その山名氏の先祖発祥の地が、意外にもここ高崎市山名の地なのです。山名氏の本姓は源氏。家系は清和源氏の河内源氏の棟梁・鎮守府将軍源義家の子義国を祖とする名門・新田氏の一門。新田義重の庶子・三郎義範(または太郎三郎とも)が上野多胡郡(八幡荘)山名郷(現在の群馬県高崎市山名町周辺)を本貫として山名三郎と名乗ったことから、山名...

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吉井陣屋 ~陣屋表門が残る~

宝暦2年(1752年)、陣屋を第3代藩主松平信有が矢田から吉井に移し構えたことに始まる。陣屋の規模は東西120間、南北80間で周囲を土塁で廻らして、南側に表門を、東側に不浄門などを設け、藩士の屋敷などを置いた。(wiki参照)上信電鉄吉井駅の南100mほどのところが吉井陣屋のあったところですが、現在は宅地化され遺構の多くは消滅しています。...

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関東戦国の大乱

世間では節電対策がどうのと騒がれているようですが、自室にエアコンの無い自分にとっては別世界の話のようです。サウナ効果で自室は日中室温40度オーバー、夜中でも30℃を下回らないという劣悪な環境で、ミイラになってもおかしくありません。高齢者なら間違いなく死んでいます。寒いのは我慢できるけど暑いのはどうしょうもありません。というか最近の冬はろくに雪も降らないし快適な季節のようにすら感じます。こんな感じなので...

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神保館 ~多胡郡鎮守の森~

大系には神保城の名で掲載されていますが、その他の資料ではおおむね神保館としてあげられていることが多いようです。ここの東側に神保城(植松城)という別の城も存在しており、混乱を避けるため神保館と表記します。大系によると辛科社人神保昌光が在城したとあります。神保植松城を本城とした辛科神社神職・神保氏の居館と推定されています。場所は吉井町辛科神社一帯。周辺の道はかなり入り組んでいますが、神社自体は道路地図...

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天久沢陣城 ~信玄の愛馬を葬る~

永禄六年、武田信玄の西上州進攻戦の際に築かれた陣城。場所は上信越道吉井ICのすぐ東側、現在は天久沢公園として整備されています。r41と上信越道が交差する付近に登り口あり。...

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馬庭城 ~馬庭念流~

馬庭家重が在城した城。馬庭氏は高山氏の類縁で、山内上杉氏家臣であった。後に武田氏の傘下に帰属したとも、敗れて討死したともいわれている。この馬庭城も、もとは平井城の支城の一つだったのでしょう。場所は吉井町馬庭、馬庭念流道場が建っているところです。...

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岩鼻陣屋 ~関東郡代所~

高崎市史No.128烏川にかかる柳瀬橋の北、群馬の森の南西に天満宮があります。そこが岩鼻陣屋の跡地です。「岩鼻町北」の信号のすぐ西側なので場所はわかりやすいが、車でそのまま信号を西折すると社宅団地内に入ってしまい、駐車できません。隣にあるコンビニの駐車場を借りさせてもらうのがよいでしょう。ついでに買い物をすればなお良。...

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大類城 ~和田城東の出城~

高崎市史No.71下之城・飯塚城とともに、和田城(高崎城の前身)の三方に配された支城の一つとされる。大系によると、大類氏の名は「吾妻鏡」にも見られるほど古くからあるものの、大類城を築いたのは大類氏ではなく和田氏としています。例によって文化財情報システムの地図を参考に現地へ。蛇足ですがこの文化財情報システム、高崎市の城館については史跡名が記号表記されているため、いちいち中身を開いて名称を確認しなければな...

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TSH 風になれ!マラソン侍

NHKのタイムスクープハンター で6月30日(木)に放送された「風になれ!マラソン侍 」。安政遠足 (「えんそく」でなく「とおあし」)を題材にしたドキュメントです。この安政遠足は日本のマラソンレースの先がけの行事であり、安中城 の記事にも少し記述しました。番組では完走することに意義があると考える者、上役との関係を気遣う者、自分との闘いと捉えひたすら切磋琢磨する者、絶対に負けるわけにはいかない勝負事と考える者...

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プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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