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記事一覧

西城 ~金山城の西を守る~

金山城は言うまでもなく本格山城で、比高を考えるとその険しさは100名城の中でもかなり上位に入ります。山の頂上近くまで車道が通っていて、山上には無料駐車場も完備されているので、ここまで車で来るのがよいでしょう。駐車場からは軽い登りで本城部分まで行くことができます。麓から自分の足で登るというのは、止めはしませんがあまりおすすめしません。さて、山上の駐車場からはほとんどの人が東側の本城へと進みますが、その...

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坂中城 ~金山城の北を守る~

太田市にある百名城・金山城。この城はまことに難攻不落の城で、上杉謙信の攻撃をも退けるほどです。この堅固さは本城部分の守りの堅さだけではなく、周囲にヒトデ状に延びた六筋の尾根にそれぞれ支城・砦を築いて有機的に守りあってこそ、その真の防御力を発揮します。...

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上泉城 ~「それは悪しゅうござる」~

剣聖・上泉伊勢守信綱。長野十六槍・上野国一本槍といった異名を持ち、信玄からの破格の待遇での仕官要請をも断り、新陰流を広めるために諸国流浪の旅に出たと伝わる人物です。...

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大友城 ~いろいろ不明~

大友城は長尾景俊が築いたとされるが、長尾景俊という人物自体が詳細不明。総社長尾氏の一派と思われ、剣城にも在城していたようですが。前橋市大友町二丁目の長見寺のあたりが城域の中心部であったとされています。...

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浜川館① ~長野氏の居館~

高崎市史No.25昨年末あたりからどうにも更新ペースが上がりません。いろいろ忙しいのもあるのですが、超マイナーな城の紹介をしていないためにモチベーションが低下している可能性もあります。ということで久々に石碑級未満の城館を取り上げます。...

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御殿林(清川口古戦場)

狩川城から新庄へ向かう途中に経由する庄内町清川地区。ここで「清河八郎記念館」の案内表示を発見。通常ならスルーするところだが、まだ早朝で時間に余裕があったため、国道から集落内へ寄り道。...

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狩川城 ~北楯大学、水神となる~

北楯大学?そんな大学あったっけ?ありません。北楯大学利長〔きただてだいがく・としなが〕(1547~1625)山形城主最上義光の家臣。慶長6年(1601年)、義光が上杉景勝を破って庄内3郡(田川・櫛引・遊佐)を奪還すると、田川郡狩川城主として3,000石を与えられた。 ところが利長の所領である狩川・清川・立谷沢などの地域は水捌けが悪く、灌漑による整備が急務であった。そのため利長は、慶長16年(1611年)、義光に立谷沢川の水...

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村上城③ ~日本海に沈む夕日~

近世村上城について。慶長3年(1598年)、本庄氏の会津転封にともなって、堀秀治の家臣・村上頼勝が領主となる。村上氏によって始められた近世城郭への改築工事は、堀直寄の時代に完成を見た。堀氏の時代には3重の天守が建てられ、また城下町の構えや町割りも整備された。慶安2年(1649年)に姫路から松平直矩が入城。寛文年間に村上城は大規模に改修された。天守、櫓等が新たに造り直されたが、ほどなく寛文7年(1667年)の落雷に...

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村上城② ~猛将・本庄繁長~

村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市に存在した平山城。別名・舞鶴城(まいづるじょう)、本庄城(ほんじょうじょう)。村上市街地東端にそびえる臥牛山(標高135メートル)の頂に築城され、歴代の村上藩主の居城であった。国の史跡に指定されている。(Wiki参照)...

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村上城① ~北越の総石垣の城~

新潟県のお城というと、誰もがまず思い浮かべるのは春日山城でしょう。ではその次は?中世城郭なら栃尾城、与坂城、栖吉城、坂戸城、樺沢城、鮫ヶ尾城、直峰城、etc、etc・・・うわー挙げきれない!近世城郭なら新発田城、高田城あたりでしょうか。ここで個人的に一押しなのが、今回紹介する国指定史跡・村上城です。全国でも数の少ない近世山城であり、山上の石垣群は圧巻です。日本名城百選選定城郭でもあります。...

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新発田城② ~甦った三匹の鯱~

景勝が鶴ヶ城(福島県会津若松市)に本拠を移すと、春日山城(上越市)には掘秀治が、新発田城には溝口伯耆守秀勝が6万石で入ります。秀勝は現在の五十公野御茶屋に仮宅邸を設け、新発田城が完成するまでそこで政務をとります。新発田城は新発田川の流れを利用した平城で本丸を中心に2重の堀があり、本丸には天守の代わりとなる3重櫓が築かれました。櫓の壁は日本海側の城郭建築で見られる海鼠壁が採用され積雪対策としました。戊...

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新発田城① ~おのれ景勝!~

100名城の一つ、新発田城。現在の遺構は近世新発田藩の藩庁としてのもので、新潟県で唯一江戸期の城郭建築が残る城です。近世新発田城の概略は次回述べるとして、まずはそれ以前の沿革。最初に城が築かれた時期は不明だが、鎌倉時代初期に幕府設立に戦功のあった佐々木盛綱の傍系である新発田氏による築城と考えられている。代々新発田氏の居城となっていたが、1581年(天正9年)、新発田重家が上杉景勝に対して反乱を起こした(新...

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平林城 ~揚北衆筆頭・色部氏の居城~

南北朝時代に南朝方に付いた平林氏の城であったが、北朝方で鎌倉時代以来の地頭だった色部氏が攻め滅ぼし居城にした。以降、代々色部氏の本拠地となった。永正の大乱では、城主色部昌長は越後守護上杉房能に従い、守護代長尾為景と対立。永正5年(1508年)5月に為景方の鳥坂城主の中条氏や築地氏らに攻められ落城、降伏して長尾氏に帰属した。天文8年(1539年)、色部勝長の時には守護上杉定実の養子縁組問題から伊達稙宗・中条藤...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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