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一月

最近いろいろと忙しく、ブログの更新頻度がやや低下しています。それはさておき、全国的には大雪が問題になっているようです。猛暑の年の翌冬にはえてしてこういうことが起こるものですが、自分の住む地域は全く雪が降りません。最近では、日本で有数の雪が降らない地域なんじゃないかと思うようにすらなりました。同じ県内でも北部の山間地はそれなりに降っているみたいなのに。これは今年もノーマルタイヤのままだな。というかス...

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高天神城④ ~犬戻り猿戻り~

二の丸方面から井戸曲輪へ帰還。いよいよラスト、高天神社のある西の丸へ。...

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高天神城③ ~荒天の城~

大雨の中、探索は続く。...

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高天神城② ~武田・徳川死闘の地~

だいぶ間が空いてしまいました。それでは続きを・・・念願の高天神城を手に入れ得意の絶頂にあった勝頼であったが、一方で就任以来信玄時代からの老臣の忠言を軽んじていたため、家中で軋轢が生じていたともいわれる。信玄に取り立てられた武田四名臣の一人高坂昌信は、高天神落城の宴の際に「これは主家滅亡の盃である」とこぼしたという。 こうした武田家の不和の中、勝頼は翌年長篠の戦いに臨み、織田・徳川連合軍に大敗を喫す...

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やる夫が真田家に生まれたようです

やる夫が真田家に生まれたようです まとめ有名なやる夫シリーズ。その中でもこれは面白いのでおすすめ。ちなみに現在進行形です。...

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高天神城① ~遠州を制する城~

高天神を制するものは遠州を制すの言葉であまりにも有名な高天神城。この日に登城したお城の中でも、諏訪原城と並び特に強烈な印象を受けたところです。できれば旅行記のように順番に紹介していきたいところですが、ほかの未紹介物件をこなしてからだと記事にするのが2年くらい後になりかねず、辛抱たまらんので先行掲載。...

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金ヶ崎城③ ~巌なめらかなり~

かの城の有様、三方は海によって岸高く、巌なめらかなり(出典・「太平記」)「なめらか」という言葉は、印象としては険しさと直には結び付きませんが、周囲の切り立った様子を「物の表面にでこぼこがなくて、すべすべ、また、つるつるしているさま」という意味を持つこの言葉をあえて用いて表現しています。 この城が天然の要害の地であったことをうかがわせる記述です。...

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金ヶ崎城② ~金崎宮の由来~

金ヶ崎城敦賀市北東部、海抜86メートルの敦賀湾に突き出した小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城である。 源平合戦の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と伝えられる。現在でも月見御殿(本丸)跡、木戸跡、曲輪、堀切などが残り、1934年には国の史跡に指定されている。金ヶ崎城跡のふもとには、足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王と、新田義顕とともに自害した尊良親王を祀...

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金ヶ崎城① ~天下取りへの転換点~

金ヶ崎の戦い金ヶ崎の退き口・金ヶ崎崩れとも呼ばれる戦国史上でも有名な撤退戦の一つ。元亀元年4月20日(1570年5月24日)、織田信長・徳川家康連合軍は3万の軍(『言継卿記』)を率いて京を出陣。4月25日(5月29日)、越前の朝倉義景領に侵攻した織田徳川連合軍は、同日の手筒山城を皮切りに敦賀郡の朝倉氏側の城に攻撃をかけ、翌日には金ヶ崎城の朝倉景恒を下す。これに対し、朝倉軍は敦賀郡を半ば放棄するように戦線が狭く防御...

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天筒山城 ~ただの展望台にあらず~

天筒山城(てづつやまじょう)は、金ヶ崎城の枝城で標高約171mの天筒山に構築された山城である。金ヶ崎城とは稜線伝いに繋がっている。元亀元年4月25日、織田軍(10万人)に攻め込まれ、双方数千の戦死者が出る戦いとなったが陥落し、朝倉景恒は金ヶ崎城に陣を引くことになった。現在は公園化されており、曲輪、櫓台跡などが残る。(Wiki参照)...

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敦賀城 ~真の義将・大谷吉継~

1575年(天正3年)に織田信長により越前は平定され、1583年(天正11年)に本能寺の変によって信長が明智光秀に討たれると、羽柴秀吉が台頭。その家臣だった蜂屋頼隆が敦賀の地に入り敦賀城を築城した。しかし頼隆は九州征伐中に病死したため、1589年(天正17年)には秀吉家臣団でも知将の呼び声高い大谷吉継が5万7000石で敦賀城に入城した。また大谷吉継の前に秀吉の甥である豊臣秀勝が城主となったという説があるが、定かではない。吉継...

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亀居城 ~正則が築いた近世城郭~

山陽道大竹インターのすぐ南、現在亀居公園となっている小高い山に亀居城はあります。ここに至るまで、R2の宮島付近の渋滞でイライラしたり、城のある山はすぐ発見できたものの入り口で迷い結局城山を一周したり、などとタイムロスをしつつも、無事山上に駐車場を発見。...

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戦国疾風伝 二人の軍師

これは・・・面白かったです。ここ2~3年で一番面白い戦国時代劇だったように思えます。...

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長山城 ~隣はザビエル聖堂~

天正16年(1588)、仁保元忠が毛利輝元に長山城の守備を任じられている。慶長元年(1596)、輝元から長門一国と周防吉敷郡を任された毛利秀元がこの城を居城とするべく修築したが、完成しない内に関ヶ原合戦により毛利氏は減封されたため、秀元は長府に移り、この城は放棄された。山口市内のど真ん中、県庁と市役所の間に小高い丘があります。亀山と呼ばれるこの丘は現在亀山公園として整備されていますが、長山城はまさにこの亀山を利...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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