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記事一覧

2010年最後

今年は一年を通じてとても充実した城めぐりをすることができました。以前から有名どころの城めぐりはぼちぼちとしていましたが、特にマイナーなお城に魅せられるようになってから、3年ほど経過したでしょうか。...

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江戸城⑤ ~二重橋・大楠公像~

このままでは年内で江戸城編が完結しない・・・ということで少しペースアップ。写真を撮りすぎたせいで選ぶのがめんどくさい大変。桔梗門から蛤濠沿いに進むと、次の門が見えてきます。...

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スジャータ 日本の城シリーズ

すでにご存じの方もいるかと思われますが、コーヒーのお供のこの商品で、日本の城シリーズというものが少し前に発売されました。http://www.sujahta.co.jp/item/all-products/sujahta/nihon-no-shiro.html...

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江戸城④ ~和田倉門・巽櫓~

先日のWEPモニターの旅で、江戸城を再訪することができました。やはり大都市圏内の城というと、車では訪れにくいという先入観があります。渋滞やら駐車料金やらで。こういった機会を有効利用しない手はありません。さっそく東京駅へひとっ飛び・・・とはいかず、渋谷城や牛込城といった、車利用ではまず攻略不可能な城を先に攻城しました。江戸城とのギャップがまた凄すぎ。...

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江戸城③ ~汐見坂・二の丸庭園~

天守台を見た後は、書陵部庁舎(皇室関係の貴重な図書等や陵墓を管理しているところ)の脇を通り、坂道を下って二の丸へと向かいます。...

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江戸城② ~富士見櫓・天守台~

記事消滅にもめげず、続きを作成。大番所の先は、緩やかな登りになっています。こういったところを実際歩いてみると、江戸城が平城でなく平山城であると実感できます。...

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江戸城① ~大手門・百人番所~

江戸城には2008年の夏と、先日のWEPの旅の2度登城しています。それ以前にも北の丸や皇居外苑には何度か足を踏み入れているのですが、2007年以前の記録はすべてリセットしているので対象外。今回紫文字はこちらのページの記述を参照させていただきました(修正あり)。まずは08年の登城記から。出張の機会を利用した登城なので、珍しく電車利用。暑いし荷物は重いしで、結構大変。...

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江戸城・序章 ~日本最大の城~

江戸城は、現在の隅田川河口付近にあった麹町台地の西端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城である。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里と、日本最大の面積の城郭になった。徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となる。明治維新後の東京奠都で宮城(きゅうじょう)・皇居となった。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東...

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白狐城 ~背後がお留守?~

別名金原城。城郭大系の記述にそって白狐城として紹介します。r35を渋川市方面から西進すると、奥田交差点の手前で左手に標柱があるのに気付きます。車は県道から一本入った道に幅寄せするか、不安ならすぐ先にある町役場支所に停めさせてもらうのがよいでしょう。...

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WEPで城めぐり

通常更新を続けていたので気付かれなかったかと思いますが、18日・19日とウィークエンドパスを使って電車の旅をしてきました。...

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柏原城 ~根古屋の湯~

大永年間(1521~28)、白井の長尾景春が築いた城。戦国期には武田氏の支配下に置かれたが、天正元(1573)年に武田信玄が死去すると、この機に長尾憲景が柏原城を奪取。天正8(1580)年には真田氏配下の岩櫃城代海野幸光が攻略したが、天正17(1589)年には再び白井勢が入った。(城郭大系抜粋)吾妻川と沼尾川が合流する地点に位置し、両川の断崖を利用した崖端城です。...

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中村城 ~奮戦虚しく散った姫~

r3粕川駅入口のところに中村城の案内表示があります。しかしそこから先には一切案内表示がなく、あの案内だけでたどり着くのはかなり厳しいと思われます。群馬県文化財情報システムの地図や、他の紹介しているサイトで位置を確認してから向かうことをおすすめします。勘の力を発動させなんとなく到着。...

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養林寺館 ~牧野康成ここに眠る~

大胡城のすぐ西、養林寺があるところが大胡氏の初期の居館址であり、現地表記では養林寺館とされています。大胡氏の館なので大胡館・大胡氏館とも。大胡城主牧野氏の菩提寺でもあります。...

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芦田城 ~囲碁の争いで改易~

芦田城(藤岡城)は、藤岡市街地の中央にある単郭方形の城で、徳川家康の武将・芦田(松平・依田)康貞が天正18年(1590)三万石でこの地に封じられ、翌年工事半ばで入城した。康貞は慶長5年(1600)春、囲碁の争いから小栗三助というものを刺殺して改易になり、城は廃された。(城郭大系抜粋)囲碁の争いで刺殺って・・・と思ったあなた、詳しい経緯はこちらのサイト に記載されています。ちなみに康貞の兄康国は石倉城での戦いで...

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小泉城 ~水掘と桜に囲まれた平城~

一度いろいろ書いたのだが記事がすべて消え去ってしまったので、簡易板で紹介。保存失敗すること多すぎですよアメブロさん。結城合戦で敗れた結城持朝の息子の持光(後の富岡主税介直光)が後に足利成氏から邑楽郡に所領を与えられて延徳元年(1489年)に建設した富岡城が後に小泉城と呼ばれるようになったと言われている。 その後、富岡一族は古河公方や上杉謙信、後北条氏などの勢力下で活躍し、富岡氏から小泉氏が分かれる。しか...

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中野城 ~大カヤの木が見守る~

邑楽町にある神光寺が中野城の跡地です。中野小学校の西側にあたります。...

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藤川城 ~良好な水掘が残る~

邑楽町高島小学校の南東、郵便局邑楽藤川局の東側の住宅街の中に位置しています。群馬県文化財情報システムの地図を参考にたどり着きました。城郭大系の記載によると小林義知・秀信が在城したという。誰?...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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