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記事一覧

長井坂城 ~旧沼田街道を掌握する崖城~

旧沼田街道の長井坂にあり、北は永井の沢の急崖、西は利根川の断崖に臨む崖端城である。「加沢記」によると、永禄3年(1560)、長尾景虎(上杉謙信)が関東出馬の際に長井坂に陣を張り、沼田顕泰(万鬼斎)を引見したとあり、そのころからこの地に城塁があったとされる。天正期に北条氏の持城となり、北条方の北方最前線の要として、沼田城を略取した真田氏との攻防が繰り返されたが、天正18年の小田原城の落城とともに廃城...

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群馬の城50選

さて、いつも言っていることですが、未紹介城館がさらに増加しにっちもさっちもいきません。ホントにそんなにたくさん訪問しているの?と思う方。してるんです。全国の城についても未紹介の攻略済み城館は山のようにあるのですが、より在庫状況が深刻なのが群馬県内の城館です。群馬県の城館についてですが、「城郭大系」に説明付きで独立して掲載されているのは677城。説明文中や縄張図内に示されているものを含めればそれよりさ...

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あとがき

長らく「江~姫たちの戦国~」の舞台である近江路の城郭をレポートしてまいりました(途中脱線もありましたが)。本来ならもっと武将や姫たちとゆかりのある神社仏閣なども巡るべきだったのでしょうが、当ブログはあくまで城館メインなのでこのような形になりました。これでもいろいろ頑張ったほうです。今回訪れなかった有名な城郭として彦根城と安土城がありますが、これは他のブロガーさんが詳しく紹介して下さっていることでし...

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浮気城 ~うわき城?~

六角氏に仕えた浮気氏の居城。住吉神社境内には幅2m、高さ1.5mの土塁と堀が残る。町内には、これに続いて土塁と堀が円周状に残っている。(近江の城50選より)...

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膳所城 ~三大湖城・琵琶湖の浮城~

膳所城は大津市街の東部に位置し、相模川河口付近にあった膳所崎と呼ばれる琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、日本三大湖城の一つに数えられ、また大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つである。陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りであった。湖の中に石垣を築き、本丸西隅には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋からねぎぼし、水...

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大津城 ~「蛍大名」京極高次の関ヶ原~

現在の滋賀県大津市浜大津、京阪電鉄浜大津駅周辺一帯にあった水城で、本丸は、現在の琵琶湖大津港桟橋付近にあたる。関ヶ原の戦いでは上田城などと共に、数少ない激しい城の攻防戦が行われた。その騒音は連日京都にまで届き、市民の中には弁当と水筒持参で見物に行く者まで出たという。戦後に廃城となり、天守などが膳所城や彦根城に移築されたと伝えられる。彦根城の天守がかつての大津城天守の用材を転用して建てられている可能...

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坂本城 ~その豪壮華麗さ、安土城に次ぐ~

・・・それは日本人にとって豪壮華麗なもので、信長が安土山に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。                           —宣教師ルイス・フロイス『日本史』...

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近江路の旅・3日目

9/23(木)雨。おまけの3日目なので、大津市内のホテルよりちょっと浮気して京都市街へ。朝はまだ小雨だったが、r30で京都東山へ抜ける峠の辺りで豪雨に。比叡山へ向かう有料道路を横目に、ワイパー全開で峠道を走る。対向車もそこそこあり、かなりスリルを味わう。...

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豊臣秀次館 ~殺生関白か、名君か~

八幡山城の山麓に、城主であった羽柴秀次の居館がありました。城主といっても、通常険しい山上の本丸で生活していたわけではありません。山城がある場合、普段はその麓にある居館部で生活していたというのが一般的で、これは中世も近世も基本的には同じです。...

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八幡山城② ~日没との戦い~

北の丸での眺めを堪能したのち、もう一つの目的に向けて動き出します。その目的とは、この北側の尾根伝いにある北之庄城を攻略することです。山麓にある北之庄神社から登るのが王道ですが、尾根筋を伝った方が早いという情報を入手していました。といっても、またしても事前情報収集時間の短さにより、どの程度の距離・時間かということはさっぱり不明。この日はかなり攻城失敗しているので、何となくまた失敗しそうな予感・・・し...

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八幡山城① ~青年大名秀次の居城~

別名近江八幡城。八幡山(標高286m)の山上に築城された。城下町は安土城城下町を移住させて形成し、現在は一部が城下の「日牟禮八幡宮境内地」「八幡堀」とともに重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。八幡堀は琵琶湖の水を引いて作られた堀で戦闘の用をなすだけでなく運河の役割も果たしていた。天正13年(1585年) 羽柴秀次によって築城。天正18年(1590年) 尾張・清洲城へ移った秀次にかわって京極高次が入城。文禄4...

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観音寺城⑤ ~巨大山城の弱点~

正面に標柱発見。 「伝 落合氏屋敷跡」とあります。一般に落合丸と呼ばれているところです。...

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観音寺城④ ~湖国の大パノラマ~

前回ラストの分岐点で、三角点方向に掲げられているのがこれ↓...

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観音寺城③ ~目指すは三角点!~

小谷城に続き、再訪の陣となった観音寺城。前回訪問時に見落としたポイントを整理しましょう。(前回の登城記はこちら)細かいポイントを上げたらきりがないので、特に大規模な遺構が残る場所に限定すると、・平井丸・池田丸・淡路丸・大見付これらの場所を確認するのが今回のリベンジ戦の目標です。それと、前回もちょっと気になった三角点の標識。その標識の先には何があるのだろうか。...

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佐生城 ~看板はドコ?~

佐生城(別名佐生日吉城)は観音寺城主六角氏の重臣後藤氏の居城です。観音寺山の北側に伸びる尾根の先端に位置し、観音寺城を守る支城として機能しました。城域は小規模ながらも、かなりの石積みが残っているとのこと。場所は猪子山公園のある山の東の先端近くらしい。とりあえず北向岩屋十一面観音下の駐車場まで、車で登ることができます。...

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旅の特典

紹介が単調に過ぎるため、いつまで経っても旅行記が仕上がりません。少々危機感を募らせたため、城館以外のところをまとめて紹介いたします。(さすがに城館の探訪記をカットするわけにはいかないので)...

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攻城報告(10月16日)

10月は山城に登るギリギリの季節です。・・・ギリギリアウトの時期。藪をかき分けつつの攻城が多く、蚊もクモもまだわんさかいてちょっと閉口。でもお城はどれも面白かった。行ってよかった。...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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