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記事一覧

知念城 ~知念按司の居城~

斎場御嶽からR331を西へ。もう直でレンタカー会社へ向かわないとフライト時刻に間に合わない恐れも出てきましたが、しばし進むと右手に知念城の案内表示を発見。時間的に非常にぎりぎりのところですが、最後の1城ということで立ち寄ることに。随所に案内表示が出ているのでそれに従い城のそばへ。車止め。ここからは徒歩で。この分岐付近に十分な広さの駐車場があります。...

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首里城⑧ ~琉球国王印、拝受~

城内はあらかた見学し終わりましたが、スタンプはまだ3つ空きが残っています。しかもその3つはすべて現在地から離れたところに固まっていますが、ここまで来たら完全制覇を目指すよりほかありません。再び園比屋武御嶽石門の前を通り、城の北側を城壁沿いに進みます。あっネコちゃん雨宿りしないと。...

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首里城⑦ ~城内最大の祭祀空間・京の内~

正殿から有料見学区域の最終見学ポイント、北殿へ。北殿はかつては北の御殿(にしのうどぅん)、議政殿(ぎせいでん)とも呼ばれていた。創建は1506~1521年頃とされ、記録によると1709年の首里城の大火で他の建物とともに焼失し、1712年頃再建された。通常は王府の行政施設として機能し、表15人衆(大臣)や筆者、里之子(さとぅぬし)と呼ばれる役人等が働いていた。北殿は南殿・番所同様、鉄筋コンクリート造として外観を木造で...

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首里城⑥ ~琉球王朝文化の結晶・正殿内部~

黄金御殿庭園の先は正殿の2階につながっています。ここからは撮影可能正殿スタンプ [16/25+2/2]...

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首里城⑤ ~首里城「内」の世界~

御庭から建物内の見学に移ります。番所から中へ。南殿・番所スタンプ [14/25+2/2]南殿(左)・番所(右) (画像は首里城公園HPより借用)庭から向かって右側が「番所(ばんどころ)」、左側が「南殿(なんでん)」である。「番所」は、通常は首里城へ登城してきた人々の取次を行った所であり、「南殿」は日本風の儀式が行われた所である。いずれも塗装を施したという記録がなく、また元々日本的な建築であるため着色はしていな...

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首里城④ ~王国の栄華を物語る正殿~

広福門をくぐると下之御庭(しちゃぬうなー)と呼ばれる広間に出ます。下之御庭の位置「下之御庭(しちゃぬうなー)」とは、沖縄の表現で「下の庭」という意味である。 首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る前の広場で、正殿前で行われる様々な儀式の控え場であり、正殿の建築工事の際には資材置場等として使用された。現在は城内でのイベント等の際に利用されている。...

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首里城③ ~正殿への道~

守礼門側から見て園比屋武御嶽石門の右手を上がると、高い城壁と第一の門が現れます。スタンプや各種説明板も設置されています。以下引用は全て首里城公園HPより。...

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首里城② ~世界遺産・園比屋武御嶽石門~

守礼門を過ぎると、すぐに左手に石門が現れます。園比屋武御嶽石門初見で読むのは厳しい。「園比屋武(そのひゃん)御嶽(うたき)石門(いしもん)」と読みます。太字表記しているのは、城館として単独項目で掲載している城サイトもあるため。私も単独城館扱いにするか迷いましたが、単独にすると評価の付けようがなくなるので、首里城の項目内で掲載することにします。一応折衷案として首里城の項目内で単独の紹介ページとし、単...

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首里城① ~礼節を重んじる国~

沖縄弾丸の旅2日目は天気予報通り朝から雨。本日午後一の便で成田へ帰還するので、探索可能時間は正味3時間強。なので数を回るのはあきらめて、特に訪れたいところを選別して限られた時間の中で最大限の探訪を行います。朝一で訪れたのは、国指定史跡・首里城!これは首里城ちゃん 2000年に登録された世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの史跡の一つ。言わずと知れた超有名な観光地でもあります。まだ私が...

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三重城 ~「テンペスト」の中で~

中城城から本日宿営の那覇市街へ。沖縄での移動は距離が短いためにそれほど時間はかからないのではと見積もっていたのですが、県内はどこも全体的に交通量が多く、特に那覇市内は慢性的な渋滞気味。那覇市の渋滞はそこそこ有名みたいです。無理やり割り込んでくる割にはチンタラ走りをするというじいさんみたいな運転をする人も多く(本当にじいさんが多かっただけかもしれないが)、割り込むくらいならさっさと進めと思いながら、...

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中城城④ ~護佐丸・拝所・ペリー・廃墟!~

謎の廃墟は大変気になりますが、城内の見どころを抑えることを優先しなければなりません。ジオラマより一の郭から、残った南の郭、西の郭などを駆け足で探索します。...

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中城城③ ~琉球の風に吹かれて~

面白いものを見つけたのでリンク貼り付け。#沖縄 #世界遺産 #物語 #イケメン #相関図 #首里城 pic.twitter.com/2TqOeRzDnA— 5jo沖縄世界遺産物語 (@5jo_project) 2016年10月3日 基本的なことを踏まえてわかりやすくまとまっていると思います。導入にはうってつけ。...

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中城城② ~名将護佐丸は名築城家~

中城城は当時貿易港であった屋宜港から2キロメートルほど離れた標高約160メートルの丘陵上にあり、中城村の北西から南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害とし、グスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られている。 石垣の上に立つと西に東シナ海、東に中城湾(太平洋)、さらには洋上の島々まで見渡せる。創始は明らかではないが、14世紀後半頃迄に先中城按司(さちなかぐずくあじ)が数世代にわたり南の郭、西の郭、...

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中城城① ~原形を留めた六連郭のグスク~

国指定史跡・中城城。2000年に登録された世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの史跡の一つ。勝連城を後にし、中城城駐車場に到着したのは16:45。冬場ではもう暗闇になっている時間帯ですが、幸いなことに探訪時の4月はまだまだ太陽は健在。これなら十分探索できると胸をなでおろし、ゲートをくぐって料金所へ。料金所入城料金は400円。ここで忘れちゃいけない100名城スタンプを押印。例のオレンジ色のステッ...

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勝連城④ ~国内初、古代ローマコイン出土!~

阿麻和利の話のラストは、妻の百度踏揚について。百度踏揚(ももとふみあがり、生没年不詳)は、琉球王朝の王女。百十踏揚とも表記される。第一尚氏王統第六代国王・尚泰久の娘。泰久王の妃は中城城主護佐丸の娘であるため、護佐丸の外孫にあたる。はじめ勝連城の按司である阿麻和利に嫁いだ。1458年、阿麻和利は護佐丸に叛意があることを王府に知らせ、王命を受けてこれを追討した。しかし、阿麻和利自身が王府に対し謀叛を企てて...

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勝連城③ ~「肝高の阿麻和利」天下統一の夢~

阿麻和利の話の続き。琉球王朝の正史には次のように伝わります。「1458年8月、王命として護佐丸を包囲し自刃させた阿麻和利であったが、宿敵を討った阿麻和利自身が天下統一を目指し、王府に対し謀叛を企て、首里を攻める準備を進めた。このとき妻の百度踏揚(百十踏揚)は従臣の鬼大城(おにうふぐすく)とともに夫の許を逃れ、首里にたどり着いた(踏揚の父は国王尚泰久)。これにより阿麻和利の叛意は王府の知るところとなり、...

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勝連城② ~忠臣と反逆のカリスマ~

阿麻和利の話の続き。第一尚氏は三山統一を実現したものの政情は不安定でした。力を増していた阿麻和利を政略結婚で王家に取り込もうとしたのも政情安定のためです。そんな中「護佐丸・阿麻和利の乱」が起こります。かつて若き日に中山王の北山征伐軍に加わり先陣を切った軍団長・護佐丸(今帰仁城の項参照)は、第一尚氏王統建国の功臣として北山守護職を任じられたのち座喜味城に移され、海外交易で黎明期の第一尚氏王統の安定を...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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