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記事一覧

フレトヒチャシ ~ここより開けていく処~

戸切地陣屋見学後帰還モードに入るわけですが、この場所から成田に帰還するには、函館空港を使うのが常識的な選択です。が、私の組んだ行程ではこれから新千歳空港まで戻らなければなりません。R5~R37~洞爺湖~R453~R276~支笏湖~r16といった経路で、道南から千歳までの走破を敢行(道が空いていたためオール下道で)。下道を走破すること自体が目的の人でもない限り、体力精神力を極限まで消耗する過酷走行はおすすめしませ...

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戸切地陣屋② ~星形要塞完存~

 社から北西側の土塁を進み裏門へ...

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戸切地陣屋① ~松前藩の四稜郭~

ようやく今回の北の大地の旅も終わりに近づいてきました。最終日の本日は朝の弁天台場から午前中だけで何ヵ所の城館を巡ったのだろう。丸1日あれば30ヵ所は余裕で巡れたペースだったな・・・さて、北斗市にある国指定史跡・戸切地陣屋(へきりちじんや)は、江戸幕府の命により松前藩が安政2年(1855)に構築した洋式城塞です。r96沿いに陣屋入口の表示あり...

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矢不来台場 ~箱館戦争の激戦地~

茂別館から函館方面へ道なりに進むと、左手に説明板が現れます。北斗市指定 史跡矢不来台場跡箱館戦争の時、最も激しい戦いがあった台場です。箱館の押付台場と向かい合い箱館湾を守るため、前幕領時代(1799~1821)に造営され南部藩が守備しています。安政元年(1854)蝦夷地はふたたび幕府の直轄地となり、箱館奉行の竹内保徳などにより、この台場の増強が必要なことを幕府に上申しています。明治2年(1869)の箱館戦争では、...

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茂別館 ~道南十二館・下之国守護の館~

国指定史跡・茂別館。道南十二館(*)の一つ。かのコシャマインの戦いの際、道南十二館の中で花沢館とともに最後まで落城しなかった館です。*道南十二館志苔館・宇須岸館・茂別館・中野館・脇本館・穏内館・覃部館・大館・禰保田館・原口館・比石館・花沢館四稜郭から高規格道路・函館江差道(函館茂辺地道路)を使って茂辺地へ。無料で走行できるのがありがたい。この道路が江差まで開通したら移動がかなり便利になります。茂別館...

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四稜郭 ~急造の星形要塞~

国指定史跡・四稜郭。箱館戦争の際に蝦夷共和国(箱館政権)が築城した堡塁で、新台場、神山台場などとも呼ばれています。場所は権現台場から北北東へ約1kmほどのところにあります。四稜郭案内図四稜郭の名称はこの図のとおり4つの稜堡を持つことに由来します。現在は史跡公園として整備・開放されています。...

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権現台場 ~四稜郭と五稜郭の結節点~

五稜郭の北北東、神山小学校の南東およそ250mにある神山稲荷神社が権現台場跡になります。住宅街の中のちょっとした高台に神社はあります。神社下の駐車スペースには説明板も設置。...

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五稜郭⑤ ~幕末の見果てぬ夢の象徴~

蝦夷共和国(えぞきょうわこく)は、戊辰戦争末期に蝦夷地(北海道)を制圧した旧幕府軍勢力による「事実上の政権」を指す俗称。箱館政権とも称される。 二の橋こちら側が大手ルートにあたり、観光客が大勢押し寄せてきます。江戸時代後期、慶応3年(1867年)に15代征夷大将軍徳川慶喜が大政奉還を行って江戸幕府が消滅し、山岡鉄太郎の斡旋により新政府軍の大総督府参謀である西郷隆盛と徳川家陸軍総裁の勝海舟の会談で江戸城の...

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五稜郭④ ~Star fort(星形要塞)~

奉行所の正面に建物跡スペースがあります。供溜腰掛跡 奉行所内に入ることが許されない従者が待機する建物。背後には奉行所西側の一角を区画するような小規模の仕切り土塁があります。...

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五稜郭③ ~箱館戦争の7ヶ月~

引き続き箱館奉行所内から。その②では建物メインで紹介したので、その③では展示資料の一部を掲載しつつ、五稜郭をめぐる歴史を追っていきましょう。以下の引用はすべて箱館奉行所公式ウェブサイトより。18世紀後半、鎖国体制をとっていた日本沿岸に、外国船が近づく事件が頻発するようになります。ロシアの南下政策の影響もあって、蝦夷地での接触が避けられないものとなり、日本とロシアの関係悪化が進みました。そこで幕府は、寛...

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五稜郭② ~箱館奉行所探訪~

前回ラストに出てきた建物は箱館奉行所。奉行所の公式サイトには以下の説明があります。箱館奉行所は、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所です。当初は箱館山の麓に置かれましたが、内陸の地に移転が計画され、その外堀となる五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、旧幕府脱走軍降伏2年後の1871年(明治4年)に解体されました。 地上...

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五稜郭① ~国内最大規模の西洋式城郭~

国内最高峰の稜堡式城郭・五稜郭。五稜郭というと長野県の龍岡城も同様の形状からそのように呼ばれていますが、日本で一般的に五稜郭というと、やはり函館のものを指す場合がほとんどでしょう。五稜郭は、江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭である。同時期に築城された長野県佐久市の龍岡城も稜堡式城郭であり「五稜郭」と呼ばれるが、単に「五稜郭」といえば函館の城郭...

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千代ヶ岡陣屋 ~箱館戦争最後の戦闘の場~

千代ヶ岱陣屋、津軽陣屋とも。現在の千代台公園から中島小学校あたりにかけて築かれていたとみられています。公園西側、「教育大通」(陣屋通り)沿いに説明板発見文化5年(1808)、幕府から蝦夷地(北海道)の警備を命じられた仙台藩が、択捉などの出張陣屋の元陣屋として、現在の中島小学校付近から千代台公園野球場にかけての丘陵地帯に、東西約130m、南北約150mの土塁を築き陣屋を置いたのが始まりである。安政2年(1855)、...

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一本木台場 ~我この柵にありて 退くものを斬る~

土方歳三らの霊が祀られている碧血碑の訪問の次は、土方歳三最後の地として知られる一本木関門へ。「最後の地碑」は若松町の若松緑地にあります。 若松緑地公園八幡通りを函館山方面から進むと、左側に写真のような掲示があります(ただし公園の駐車場はなし)。緑地内のわずかな凹凸も遺構ではないかと考えてしまうのが中世城館病患者の典型的症状ですが、どうやら関係ないようです。『説夢録』によると「一本木関門の辺海岸に砲...

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立待岬台場 ~異国船の往来を監視する~

18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、立待岬には北方警備のため異国船の往来を監視する台場が築かれました。 築かれた年代は定かではないが、寛政年間(1789~1801)とされます。立待の地名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せする所、すなわちここで魚を獲ろうと立って待つ)に因むという。18世紀末に幕府が蝦夷地を直轄すると、警備のためここに台場が築かれた。また、第二次世界大戦中は、要塞地帯法により市民は立ち入りを禁じ...

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南部陣屋 ~蝦夷地の南部藩元陣屋~

幕末、幕府から東蝦夷地の沿岸警備を命じられた南部藩は、室蘭・長万部・砂原に出張陣屋を設置します。そして出張陣屋に対する本営・本陣となる元陣屋は箱館に築かれました。現在の函館山ロープウェイ乗り場「山麓駅」の北側にある駐車場一帯が南部陣屋の跡地になります。陣屋の名残を坂名に残す「南部坂」ロープウェイ乗り場へ向かい南部坂を上ると、右手に石垣が見えてきます。...

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宇須岸河野館 ~「箱館」地名発祥の館~

箱館、宇須岸館、河野(氏)館とも。道南十二館(*)の一つ。元町公園からその下側(北側)一帯が館の跡地といいます。*道南十二館志苔館・宇須岸館・茂別館・中野館・脇本館・穏内館・覃部館・大館・禰保田館・原口館・比石館・花沢館元町公園内にある「箱館奉行所跡」の碑...

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プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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