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御殿山第二砲台 ~函館要塞②~

函館山山頂にある御殿山第一砲台から一つ下の駐車場(つつじ山駐車場)へ移動。駐車場にある案内図。この図は函館山の至る所にあり、前回(2015年)立待岬台場を訪れた際に同じ図を見ています。その時に「次回訪問時には函館山の要塞施設群も訪れたいところです」と記していましたが、その言葉どおりの探索となります。ちなみにこの図には御殿山第二砲台は記されていますが御殿山第一砲台は記載されていません。公開と原則非公開の...

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御殿山第一砲台 ~函館要塞①~

函館山の山頂にあるテレビ局送信施設の傍らに説明板発見。津軽要塞跡明治30年(1897)、函館山で要塞工事が始まり、32年11月函館要塞として完成したが、昭和2年(1927)4月に津軽要塞と改称された。敷地は保安林も含め御殿山、薬師山、千畳敷、谷地頭付近の約16万坪が陸軍省の所管となり、昭和21年(1946)5月の開放までは、一般市民の立入りはもちろん、写生、撮影ならびに測量などが一切禁止された。現在も函館山の各所に地下壕...

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桔梗台場 ~三稜郭の比定地~

北の大地の旅2018編函館市桔梗町にある比遅里神社が三稜郭の有力比定地という。もう少し正確に言うと、箱館戦争で榎本軍が構築したとされる台場の中に桔梗台場(桔梗野台場とも)があるのですが、古図などをもとにこの桔梗台場が三稜郭とされています(*)。*『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(西ヶ谷恭弘、日本城郭史学会)参照三稜郭も四稜郭も七稜郭も築造された当初からそのような固有名称を持っていたわけではなく、後世...

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峠下台場 ~山上の七稜郭~

北の大地の旅2018編榎本軍鷲ノ木上陸地跡を後にし再出発。前回の旅では森町でR278へと進み砂原陣屋、彦澗台場を攻略し、そのまま東回りで函館に向かうルートを取りましたが、今回は普通に大沼経由のR5コースを取ります。七飯町に入り大沼(小沼)を過ぎて峠下地区へ。ここに今回行けたら行ってみたい台場がありました。その名は峠下台場(七飯台場とも)。箱館戦争における重要な場所であることに加え、その形状がユニークなことで...

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フレトヒチャシ ~ここより開けていく処~

戸切地陣屋見学後帰還モードに入るわけですが、この場所から成田に帰還するには、函館空港を使うのが常識的な選択です。が、私の組んだ行程ではこれから新千歳空港まで戻らなければなりません。R5~R37~洞爺湖~R453~R276~支笏湖~r16といった経路で、道南から千歳までの走破を敢行(道が空いていたためオール下道で)。下道を走破すること自体が目的の人でもない限り、体力精神力を極限まで消耗する過酷走行はおすすめしませ...

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戸切地陣屋② ~星形要塞完存~

 社から北西側の土塁を進み裏門へ...

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戸切地陣屋① ~松前藩の四稜郭~

ようやく今回の北の大地の旅も終わりに近づいてきました。最終日の本日は朝の弁天台場から午前中だけで何ヵ所の城館を巡ったのだろう。丸1日あれば30ヵ所は余裕で巡れたペースだったな・・・さて、北斗市にある国指定史跡・戸切地陣屋(へきりちじんや)は、江戸幕府の命により松前藩が安政2年(1855)に構築した洋式城塞です。r96沿いに陣屋入口の表示あり...

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矢不来台場 ~箱館戦争の激戦地~

茂別館から函館方面へ道なりに進むと、左手に説明板が現れます。北斗市指定 史跡矢不来台場跡箱館戦争の時、最も激しい戦いがあった台場です。箱館の押付台場と向かい合い箱館湾を守るため、前幕領時代(1799~1821)に造営され南部藩が守備しています。安政元年(1854)蝦夷地はふたたび幕府の直轄地となり、箱館奉行の竹内保徳などにより、この台場の増強が必要なことを幕府に上申しています。明治2年(1869)の箱館戦争では、...

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茂別館 ~道南十二館・下之国守護の館~

国指定史跡・茂別館。道南十二館(*)の一つ。かのコシャマインの戦いの際、道南十二館の中で花沢館とともに最後まで落城しなかった館です。*道南十二館志苔館・宇須岸館・茂別館・中野館・脇本館・穏内館・覃部館・大館・禰保田館・原口館・比石館・花沢館四稜郭から高規格道路・函館江差道(函館茂辺地道路)を使って茂辺地へ。無料で走行できるのがありがたい。この道路が江差まで開通したら移動がかなり便利になります。茂別館...

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四稜郭 ~急造の星形要塞~

国指定史跡・四稜郭。箱館戦争の際に蝦夷共和国(箱館政権)が築城した堡塁で、新台場、神山台場などとも呼ばれています。場所は権現台場から北北東へ約1kmほどのところにあります。四稜郭案内図四稜郭の名称はこの図のとおり4つの稜堡を持つことに由来します。現在は史跡公園として整備・開放されています。...

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権現台場 ~四稜郭と五稜郭の結節点~

五稜郭の北北東、神山小学校の南東およそ250mにある神山稲荷神社が権現台場跡になります。住宅街の中のちょっとした高台に神社はあります。神社下の駐車スペースには説明板も設置。...

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五稜郭⑤ ~幕末の見果てぬ夢の象徴~

蝦夷共和国(えぞきょうわこく)は、戊辰戦争末期に蝦夷地(北海道)を制圧した旧幕府軍勢力による「事実上の政権」を指す俗称。箱館政権とも称される。 二の橋こちら側が大手ルートにあたり、観光客が大勢押し寄せてきます。江戸時代後期、慶応3年(1867年)に15代征夷大将軍徳川慶喜が大政奉還を行って江戸幕府が消滅し、山岡鉄太郎の斡旋により新政府軍の大総督府参謀である西郷隆盛と徳川家陸軍総裁の勝海舟の会談で江戸城の...

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五稜郭④ ~Star fort(星形要塞)~

奉行所の正面に建物跡スペースがあります。供溜腰掛跡 奉行所内に入ることが許されない従者が待機する建物。背後には奉行所西側の一角を区画するような小規模の仕切り土塁があります。...

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五稜郭③ ~箱館戦争の7ヶ月~

引き続き箱館奉行所内から。その②では建物メインで紹介したので、その③では展示資料の一部を掲載しつつ、五稜郭をめぐる歴史を追っていきましょう。以下の引用はすべて箱館奉行所公式ウェブサイトより。18世紀後半、鎖国体制をとっていた日本沿岸に、外国船が近づく事件が頻発するようになります。ロシアの南下政策の影響もあって、蝦夷地での接触が避けられないものとなり、日本とロシアの関係悪化が進みました。そこで幕府は、寛...

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五稜郭② ~箱館奉行所探訪~

前回ラストに出てきた建物は箱館奉行所。奉行所の公式サイトには以下の説明があります。箱館奉行所は、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所です。当初は箱館山の麓に置かれましたが、内陸の地に移転が計画され、その外堀となる五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、旧幕府脱走軍降伏2年後の1871年(明治4年)に解体されました。 地上...

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五稜郭① ~国内最大規模の西洋式城郭~

国内最高峰の稜堡式城郭・五稜郭。五稜郭というと長野県の龍岡城も同様の形状からそのように呼ばれていますが、日本で一般的に五稜郭というと、やはり函館のものを指す場合がほとんどでしょう。五稜郭は、江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭である。同時期に築城された長野県佐久市の龍岡城も稜堡式城郭であり「五稜郭」と呼ばれるが、単に「五稜郭」といえば函館の城郭...

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千代ヶ岡陣屋 ~箱館戦争最後の戦闘の場~

千代ヶ岱陣屋、津軽陣屋とも。現在の千代台公園から中島小学校あたりにかけて築かれていたとみられています。公園西側、「教育大通」(陣屋通り)沿いに説明板発見文化5年(1808)、幕府から蝦夷地(北海道)の警備を命じられた仙台藩が、択捉などの出張陣屋の元陣屋として、現在の中島小学校付近から千代台公園野球場にかけての丘陵地帯に、東西約130m、南北約150mの土塁を築き陣屋を置いたのが始まりである。安政2年(1855)、...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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