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記事一覧

都於郡城③ ~浮舟の城~

西ノ城を後にし、続いて三ノ丸へ。三ノ丸への登り口。...

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都於郡城② ~伊東マンショ生誕の地~

本丸の一部分について発掘調査を行った結果、多数の柱穴が検出され、伊東氏が在城した240余年間、建造物が何回となく建築補修されたと考えられています。また、16世紀前半に輸入されたと思われる中国製の磁気片も多数出土しており、南方貿易にも尽力していたことが推察されます。この時期は飫肥地方にも勢力を伸ばした10代城主伊東義祐の時代にあたります。鳥瞰縄張図この城は城域が広い反面パンフレットやマップが備わってないの...

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都於郡城① ~伊東四十八城本城~

都於郡城は南北朝時代から安土桃山時代にかけて日向国に割拠した伊東氏の城の一つ。1335年(建武二年)、足利尊氏より都於郡三百町を賜って日向に下向した伊東本宗家の祐持による築城といわれ、一国人領主にすぎなかったころよりの本拠でもある。城は高さ100mの丘陵に築かれた本城、周囲に支城(日隠城、東城、泉城、高城、向城)を配し、その間を堀や池を巡らすという中世式城郭の典型的な様式である。なお本城から峰続きに1.3km東...

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佐土原城③ ~日本最南端の天守台~

本丸の中央に碑や設置物があるのですが、周辺に所々沼地になっている部分があり、迂闊に近づくと悲惨なことになります。膝丈以上の長さにまで草が覆い茂っているので、下の様子が余計にわかりません。 沼に注意!                            本丸標柱...

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佐土原城② ~伊東四十八城要の城~

14世紀半ばごろに伊東氏の一族田島休助によって田島城として建てられた。1427年頃、田島氏は日向国に勢力を伸ばしてきた伊東氏から城を追われ、伊東祐賀が入城。佐土原氏を名乗る(このころから通称として佐土原城とよばれだした)。 さらに1480年に伊東本家筋から伊東祐国が佐土原氏の養子に入り、正式に伊東氏が田島城(佐土原城)を支配。伊東四十八城の一つに位置づけられた。1536年に焼失。1542年から1543年に、田島城(佐土...

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佐土原城① ~鶴松館で事件発生~

9月27日。九州遠征7日目。天気は薄曇りながら暑い。今日も午前中から真夏日確定。勘弁してほしいです。本日は移動距離的に一番ハードな日程。私は遠征時には細かいスケジュールを立てない事が多く、よく言えば臨機応変ですが、悪く言うと行き当たりばったりなところがあります。今回の旅も前半(佐賀のあたり)で時間をとりすぎたため、後半にしわ寄せがきている感じです。宮崎県でもたくさん探訪したい城はありますが、今回は特に...

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飫肥城③ ~パワースポットと重伝建~

 旧本丸内のマウント状の地形。周囲には一部残存土塁あり。...

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飫肥城② ~伊東氏・島津氏争奪の城~

飫肥城(おびじょう)は、日向国南部(現在の宮崎県日南市飫肥)にある日本の城である。江戸時代は伊東氏飫肥藩の藩庁として繁栄した。飫肥市街北部の丘陵に曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城である。飫肥城は宇佐八幡宮の神官の出で、日向の地に武士団として勢力を伸ばした土持氏が南北朝時代に築城したのが始まりと伝えられ、飫肥院とも呼ばれていた。時代は下って長禄2年(1458)九州制覇を狙う薩摩の島津氏が、鎌倉時代から日...

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飫肥城① ~スタンプ入手ならず・・・?~

100名城の一つ・飫肥城に到着。この時私は焦っていました。大手門交差点で赤信号待機中。時刻は16時53分。そうです。城の見学は明るいうちなら何時まででもできますが、100名城スタンプを押すには設置している施設の営業時間を考慮しなければなりません。スタンプラリーが始まって初期のころは24時間押印自由のスタンプも数か所ありましたが、現在はそういったところはたぶんないはず。...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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