FC2ブログ

記事一覧

隼人城 ~舞鶴城の詰めの城~

伝承に隼人城は熊襲・隼人の居城であったといわれ、発掘調査でも縄文・弥生期から古代にかけての住居跡や石器・土器類をはじめ、炭化した籾などが多く出土している。応永年間(1394~1428)の頃、隼人城には税所左馬助淳弘が居城したと伝えられている。慶長九年(1604)、島津義久が当城の南麓に館(舞鶴城)を築いて、富隈城から移ってきた時、当城も義久の城塞となった。(『日本城郭大系』より抜粋)舞鶴城と隼人城の位置関係。...

続きを読む

舞鶴城 ~島津義久最後の居城~

舞鶴城は、別名国分城、国分新城、国分御屋形。国分小学校および隣接する国分高校一帯が城域になります。小学校南面を流れる堀跡の水路。石垣も立派。左手の灯篭には島津義久が詠んだといういろは歌が刻まれています。...

続きを読む

富隈城 ~島津義久の隠居城~

文禄4年(1595年)、豊臣秀吉により強制的に隠居させられた島津義久はそれまで居城としていた内城を退去する事態に追い込まれ、急遽薩摩国と大隅国の境にあり、港が近くにあるこの地に屋形を築いた。これが富隈城である。通常島津氏の城は裏山に後詰めの山城があるが、この富隈城にはそれに当たる物が無く、秀吉に対して恭順の意を表したとも、或いは秀吉に圧力を掛けられたとも言われている。周囲は南北250m、東西150m、高さ30m余...

続きを読む

加治木館 ~島津義弘終焉の地~

加治木町仮屋町の加治木高校・柁城小学校の一帯が島津義弘晩年の居城である加治木館の跡地であるという。 加治木高校。校庭の先に見える特徴的な山は蔵王岳。...

続きを読む

平山城 ~初代城主が植えた大銀杏が今も残る~

帖佐麓にあった説明板の案内図より。高尾城から東へ進むと、本城である平山城に至ります。高尾城からの道は一か所だけ分かれ道がありますが、「八幡神社・桜公園」の表示が出ている右手に進めばOK。...

続きを読む

高尾城 ~島津軍を助けたキツネ~

帖佐麓にあった説明板の案内図より。帖佐館東側の一本道を北へ進むと、途中高尾城(元稲荷)を経由します。...

続きを読む

帖佐館 ~島津義弘居館~

文禄4年(1595)、栗野から帖佐に移った島津義弘は、平山城の麓、帖佐鍋倉宇都に館を築いて国守の治所とした。現在「御屋地(おやじ)跡」と呼ばれている所で、高さ二間ほどの野面積みの石垣が残っており、その南側が昭和37年姶良町の文化財に指定された。この御屋地造営のおりには、蒲生地頭阿多長寿院が真っ先に大石を運ばせたといわれ、また前面の石垣中には義弘の羽織掛石も見られる。義弘は関ヶ原より帰ってのち、慶長11年(1...

続きを読む

帖佐麓 ~小学校になった「地頭仮屋」~

姶良市鍋倉地区の帖佐小学校ここ帖佐小学校の場所には、江戸時代に「地頭仮屋」が設置されていました。...

続きを読む

岩剣城 ~初めて鉄砲が実戦使用された城~

平松地区に入ってから、ずっと気になる険しい山が目に入っていました。この険しい山こそ、島津義久・義弘・歳久の三兄弟が揃って初陣を飾った岩剣合戦の舞台・岩剣城。この合戦では島津忠将が種子島(鉄砲)を使用し、岩剣城祁答院勢も種子島で応戦するなど、日本ではじめて鉄砲を実戦使用した本格的な戦いとなったといいます。岩剣城(いわつるぎじょう)は鹿児島県姶良市平松にある中世城郭。標高210mの岩剣山頂にあり、山は剣の...

続きを読む

重富麓 ~島津特有の軍事制度~

鹿児島城の記事でも出てきた「麓」。そこではさらっと流しましたが、そもそもここでいう「麓」とはどういう意味なのでしょうか。以下wikiの記述。薩摩藩の外城制度において郷士が居住していた集落を麓集落と称し城下町的機能を有していた。知覧麓(現南九州市)・入来麓(現薩摩川内市)・出水麓は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。では外城制度とは。外城制(とじょうせい)とは薩摩藩が行った地方支配の制度。17...

続きを読む

平松城 ~越前島津家領主の館~

城山を後にし、R10を暫し北上。右手に桜島を眺めながら海沿いを走る快走路です。姶良市に入り、重富郵便局前の交差点を左折。r57を少し進むとこのような案内があるので従います。平松城は現在重富小学校の敷地になっています。...

続きを読む

上山城 ~鹿児島城の詰城~

上山城は、南北朝時代に豊後国の土豪上山氏が鹿児島に入部して築城したとされる。守護島津氏は初代忠久から三代久経まで鎌倉に在住したため、薩摩・大隅・日向の三州では土豪が割拠していた。上山氏もその一つ。上山氏は正平年間(1346~69年)に島津氏に屈し桜島へと居を移したため上山城は廃城となっていたが、1602年(慶長7)に島津家が鹿児島城を築城し、城山を詰めの城とした。西南戦争では西郷隆盛がこの城山に籠もり、政府...

続きを読む

鹿児島城 ~島津77万石の居城~

9月26日。九州遠征6日目。この日も晴天で、今のところ4日目以外すべて晴れ。暑いのよりは雨降りのほうがましなくらいだが、本日も暑くなりそう。 朝の出発時、車が妙に砂っぽい状態になっていた。ラジオの情報によると、前日夜半から明け方にかけて桜島から降灰があったとのこと(前日の宿営地は鹿児島市街)。鹿児島に住んでいる人はこういうことが日常茶飯事なんでしょうね。洗濯物とか大変そう。黄砂や排ガスが大嫌いな私には...

続きを読む

カテゴリ

プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

フリーエリア

Twitter

スポンサーリンク

カレンダー

10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

メールフォーム

お問い合わせはこちらからどうぞ

名前:
メール:
件名:
本文: