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記事一覧

人吉城③ ~はね出し石垣と水運の城~

二の丸「御本丸」と呼ばれ、城主の住む御殿が建てられていました。二の丸御殿には「御金ノ間」と呼ばれる金箔張りの部屋もあったといいます。井戸跡や手水鉢なども残っています。...

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人吉城② ~相良氏35代の居城~

人吉城は相良氏が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたり在城し、江戸時代には人吉藩の藩庁であった。国の史跡に指定されている。市内中央部を流れる球磨川の南側に位置し、球磨川とその支流胸川の合流点の山に築かれており、北側と西側は球磨川と胸川を天然の堀とし、東側と南側は山の斜面と崖を天然の城壁として、巧みに自然を利用している。球磨川沿いに三の丸を配し、その南に二の丸、さらに丘陵上...

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人吉城① ~相良清兵衛屋敷地下室~

八代から九州道で人吉へ。八代方面から周囲を山で囲まれた人吉盆地へ入るには、現在でも高速道以外では球磨川沿いの道を進むしかなく(あとは大通越)、一種の天嶮の地といえます。100名城に選定されている人吉城。球磨川に架かる水の手橋から対岸を見ると、川沿いに長く石垣が連なる光景が目に入ってきます。人吉藩は外様2万2千石の小藩ながら、城に対する同好の先人たちの評価は比較的高く、期待が高まります。 16:20。100名城...

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八代城③ ~往時をしのぶ天守台~

月見櫓跡から天守台へ。まずは手前にある小天守台から。...

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八代城② ~一国二城体制~

寛永9年(1632年)、加藤氏が改易されると、豊前小倉藩主だった細川忠利が熊本藩主となり、忠利の父・細川忠興(三斎)が八代城の北の丸を隠居所とした。忠興は四男の立孝を本丸に住まわせ、いずれ自分の隠居料9万5千石を継がせて立藩させることを望んでいたようだが、正保2年(1645年)閏5月に立孝は若くして没し、忠興も同年12月に没した。八代城には立孝の子・宮松(細川行孝)が残されたが、藩主細川光尚はこれに宇土郡・益城郡...

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八代城① ~総石垣の近世城郭~

八代市の中心部にある八代城。今なお石垣と水堀が良好に残る近世城郭です。本丸北東側に無料駐車場を確認しましたが、遮るもののない青空駐車場であったため、探せば他に日陰の駐車スペースがあるかもしれないと考え城周りを徐行します。本丸南側から。建造物はないものの、水堀越しの高石垣はまさにザ・近世城郭。...

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宇土古城 ~古代居館も眠る国史跡~

宇土城の西500mほどにある丘陵の上に築かれていたのが宇土古城です。丘陵中腹の無料駐車場まで車で行くことができます。やりました。ここには日陰があります。駐車環境は攻城の精度にもかかわってくるほどの重要な問題。日陰に駐車できると落ち着いて探索することができます。...

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宇土城 ~小西行長が築いた織豊系城郭~

宇土市には中世と近世の二つの宇土城があります。地図では前者が宇土城跡、後者は宇土城山公園と表記されています。ここでは多くの城郭サイトの表記方法に倣い、前者を宇土古城、後者を宇土城とします。 まずは近世宇土城から。宇土高校西隣にある城山公園を目指します。城山入口に二つの宇土城の表示を発見するも、なんと車両通行止め。この場所にいた現地誘導員のおにいさんに、少し手前にある古城公民館を駐車場所として教えて...

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熊本城⑨ ~再訪を誓う~

数寄屋丸二階御広間を出たところ。奥に見えるのは本丸御殿。ここから見ると、石垣の段が1階部分までせり上がっており、南側からは平櫓に見える不思議な櫓です。ちなみに現在私が立っている数寄屋丸南東隅はかつて数寄屋丸五階櫓があったところ。...

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熊本城⑧ ~二様の石垣と数寄屋丸~

東竹の丸から数寄屋丸へと向かいます。すぐに、またも特徴的な遺構が現れます。正面の独立した石垣は竹の丸五階櫓の櫓台。規模を視覚的にわかりやすくするために比較対象の人物を映り込ませたいところだが、こういう時に限って誰も現れない。暑くて10秒以上待っているのは不可。日本名城百選(小学館)の解説によると、この部分の連続外桝形虎口は必見ポイントの一つとなっています。専門的に言うと、本丸闇り通路から須戸口門・櫨...

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熊本城⑦ ~不開門と現存櫓群~

本丸御殿を後にし、続いて本丸内にある長局櫓へ。内部は休憩所で、冷房が入っているが入口が2方面全開になっています。こういうのは全然内部の空気が冷えないしエネルギーの無駄だしで私的にはかなり気になるのですが、全面開放しているのがデフォな感じなのでそのままスルーします。本丸御殿の地下、闇り通路から本丸東側へ降りていく虎口状の階段。...

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熊本城⑥ ~本丸御殿・昭君之間の秘密~

加藤清正によって創建され、行政の場・歴代肥後藩主の対面所(会見の場)として使われてきた本丸御殿は、明治10年(1877)の西南戦争で焼失しました。その本丸御殿の復元に着工したのは平成15年。そして平成20年春、ついに大名文化の粋を集めた創建時の世界が甦りました。説明するより見てもらう方が早いので早速行きましょう。外は暑いので早く中に入りたい。玄関ホールから入ると受付カウンターのようなところがあるので、思わず...

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熊本城⑤ ~大小天守と秘密の抜け穴?~

一口城主の名簿で埋め尽くされた地階から上へ進むと分岐点。まずは小天守から登ってみます。...

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熊本城④ ~一口城主マリポーサさん~

宇土櫓1階。三間四方の主室にて佇んでいる先客発見。涼みがてら暫し待機。 何を見ていたのかと覗くと、「武将たちの夢」と題した一文。ややポエムチックですがこういった文章好きです。・・・城づくりは壮大な叙事詩といえるでしょう。武将たちの夢だったのです。・・・この部屋でそっと耳をすますと、武将たちのさざめきが聞こえてくるようです。...

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熊本城③ ~第三の天守・宇土櫓~

西南戦争特別展を後にし、外に出ます。あ、暑い・・・ 南大手櫓門熊本城西出丸にある3つの大手門の一つ。並の兵力ではこの櫓門を突破できそうにありません。先ほどまでの特別展はこの中で開かれていました。...

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熊本城② ~西南戦争特別展~

いきなりですが、以下の漫画をご覧ください。「腹がへるへる籠城戦」...

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熊本城① ~別格の城~

9月25日(晴れ)。九州遠征5日目。お待たせしました。超メジャー城郭、日本三名城の一つ熊本城に登城です。熊本城にはこれで3度目の登城になります。一度行った城には極力再訪しない(*注)私としては例外的な城になります。ただし1度目の登城は幼少時で記憶はほとんど残っておらず、2度目は中学時代の家族旅行時で、その時は城内をくまなく見て回ったわけではありません。前の2回はいずれも自力で城めぐりを行う前の登城なので、...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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