記事一覧

須崎台場 ~福岡藩が築いた台場~

須崎公園(→参照)の北西側の通りに面した側に石垣が残っています。文久3年(1863)、海防のために福岡藩によってこの地に台場が築かれました。そのことを示す表示物はないかと探しましたが、公園内にはいくつも案内看板があるものの台場を示すものは見つかりませんでした。...

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門司城 ~関門海峡を見下ろす要害~

『豊前志』などの記述によれば、1185年(元暦2年)に平知盛が家臣の紀井通資に命じて築いたという。1255年(建長7年)に藤原親房が豊前代官職として入城し、門司氏を名乗るようになった。南北朝時代には当城の門司親尚らが北朝、猿喰城の門司親頼が南朝に付いて門司氏は分裂している。戦国時代には当城をめぐる攻防が続き、1430年(永享2年)に秋月春種と原田信朝が大内氏を攻めて当城を落とした。その後、大内氏の城として存続す...

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小倉城② ~九州最大級の唐造天守~

本丸から退出。北の丸へ向かいます。多聞口門跡。多聞とは本来長屋の事で、本丸から北の丸への通り道の門。正面は着見櫓。...

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小倉城① ~九州諸大名監視の城~

九州北部の拠点城郭・小倉城を目指し、中津から北九州は小倉へ。再び福岡に戻ってきて、九州一周の旅も終わりが近づいてきました。残念ながら周辺に無料駐車場はなさそうなので、勝山公園地下駐車場へ。なになに、30分ごとに150円とな。3番出口を探そうにも柱に張られた矢印が指している方向が分かりにくし。...

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久留米城② ~筑後の要の城~

神社を拝んだ後は本丸の東南へ。 巽櫓跡(④)七つの櫓の一つ。辰巳(東南)の隅に位置する。城内で最も規模が大きかった層塔型の三重櫓で、天守の代用となっていました。...

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久留米城① ~有馬21万石の居城~

室町時代後期の永正年間(1504年 - 1521年)にこの地の土豪が篠原城と称した砦程度のものを築いたのが始まりと言われる。天文年間(1532年 - 1555年)には御井郡司の某が修築したとの記録がある。この時代は豊後国の大友宗麟(筑後守護でもあった)と肥前国の龍造寺隆信が争っており、この地は双方の勢力が拮抗する場所で度々城主が入れ替わった。天正15年(1587年)豊臣秀吉が九州を平定すると、大友宗麟の娘婿である毛利秀包(羽...

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三原城 ~文武両道・忠義の将~

九州遠征2日目。1日目は14時現地入りで時間がなかったことに加え、超絶疲労状態(車の運転だけで4kgくらい体重減)からのスタートでしたが、本日からは本領が発揮できそうです。この糞暑い中でも20kmくらいは踏査できそうな感じでしょうか。冬場ならその倍でもいけるのですが。とはいえ本日はそこまで歩き回るのはセーブして、ゆっくりのんびり15城くらい見て回る予定。時間があるって素晴らしい。宿泊地の甘木から、まずは最...

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大宰府政庁 ~古都の光~

太宰府市にある大宰府政庁。だいぶ日も暮れてしまったので、本日の探訪はここで締めて宿泊地のホテルへ向かおうと考えていたのですが。・・・?何やら様子がおかしい。やたら近辺に人通りが多い。浴衣を着た人もちらほらと。この時間帯に史跡を見に集まる人などまずいないだろうし。おまけに政庁の駐車場は使用不可の張り紙とロープが。誘導員までいるありさま。「第9回太宰府古都の光」原因はこれか。...

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原八坊 ~足利尊氏再起の地~

岩屋城から山を下る途中、道が大きく右カーブを描くあたりで標識を発見。いかにも史跡臭が漂っていたので車を停めて確認してみる。原八坊跡とあります。これはいったい・・・...

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岩屋城 ~嗚呼壮烈~

岩屋城といえば、かの有名な玉砕戦があったところで知られます。築城は天文年間(1532年 - 1554年)に大友氏の武将・高橋鑑種と伝えられ、立花城と共に大友家の筑前支配の拠点であった。しかし、高橋鑑種は主君・大友宗麟の傲慢な振る舞いに憤り、反旗を翻したために城を逐われ、大友家の宿老吉弘鑑理の二男鎮種が高橋氏の名跡を継いで「高橋鎮種」と名乗り宝満・岩屋の両城主となった。天正13年(1585年)、立花城主立花道雪の死去...

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大野城③ ~大野山 霧立ち渡る ~

大野城の築かれた四王寺山の地形は特徴的で、中央部分が浅く窪んでいて、浅い皿を乗せたような形をしています。その南側の「皿の縁」にあたる部分に太宰府口城門は築かれました。大野城のメインゲートであるこの城門は、太宰府政庁と同じ形式の瓦が使われていたといいます。発掘調査の結果、城門建築や両袖石積みの変遷が明らかになりました。城門は、最初に掘立柱形式の建物が建てられ、次に礎石形式へと大きく建て替えられていま...

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大野城② ~大陸からの侵攻に備える~

斉明天皇6年(西暦660)、朝鮮半島では日本の友好国百済(くだら)が唐・新羅(しらぎ)連合軍によって滅ぼされました。日本は百済を救うために大軍を派遣しましたが、天智天皇2年(663)、白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗し、日本軍は撤退しました。以後、唐・新羅の侵攻に備えて、国防体制の充実が急がれ、大和朝廷は太宰府を防衛するために、天智天皇3年(664)水城(みずき)を築き、翌年の天智天皇4年(665)には、亡命百...

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大野城① ~日本最古の山城~

福岡城を後にしたのが16:00。福岡入りした時間はだいぶ遅かったものの、ここまでは速歩・強行戦術を駆使しいいペースで進んでいます。しかし福岡中心街で渋滞にはまり、市街地を抜けるのにかなりのタイムロス。次なる目的地はこちらも100名城の一つである大野城。ただの山城なら多少薄暗くなっても探索可能ですが、100名城スタンプを入手するにはそれとは別に設置施設の閉館時間を考慮しなければなりません。スタンプは複数の施設...

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鴻臚館 ~古代迎賓館~

福岡城編は終わりましたが、追記しておかなければならないことがありました。国指定史跡・鴻臚館の存在についてです。福岡城三の丸にて。発掘調査中の表示あり。...

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福岡城④ ~影の薄い巨城?~

天守展望台では、ガイドが団体客に対し例のタブレットを使った解説を行っていました。少しのぞき見をすると、特定の場所での復元CGが表示され、現状と見比べることもできるみたいです。時間の関係もあるので天守台を後にします。埋門跡。...

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福岡城③ ~幻の大天守~

 天守台への入口となる「鉄御門」は、要衝の門にふさわしく、敵の侵入を防ぐために幅が狭くなっています。実戦的には天守台への入口を狭くしたところで戦局への影響はないでしょうが、この城の特徴的な遺構なので必見ポイントの一つになっています。...

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福岡城② ~福岡城物語~

福岡城は福岡市中央区に位置する梯郭式平山城である。普請奉行は野口佐助一成である。城地とされた福崎丘陵(那珂郡警固村福崎)は、博多と那珂川を挟んだ西側にある。主に、本丸を囲むように二の丸、その外に大きく三の丸が配され、47の櫓を配し縄張りの範囲は約25万平方メートルに及ぶ。東側に那珂川を以って堀とし、また西側の干潟「草ヶ江」を大堀として活用した。この大堀は現在大濠公園として整備されている。城下町は城の北...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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