記事一覧

金尾城 ~高崎前橋に跨る城~

高崎市史No.45関越道前橋インター西から群馬高専周辺までの広い範囲を城域としていたのが金尾城。前橋市鳥羽町と高崎市中尾町の両方に跨っており、前橋市史では中尾城の表記となっています。高崎市史では観窓寺周辺にもう一つ別の中尾城があること、前橋市鳥羽町金尾に中核があることから、ここでは高崎市史や「群馬県の中世城館跡」の表記である金尾城を採用します。 前橋インター西にある大福寺。広い敷地のお寺で、ここも城...

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黒崎屋敷 ~鳥の塒~

高崎市史No.43三夜堂のすぐ北西、原環濠遺構と接する位置にあったのが黒崎屋敷。資料によると比較的遺構が残っているという。既に日没、薄闇の中資料の位置図を参照しながら進むと、畑の奥の該当地にいかにもな地形を発見。...

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斎田屋敷 ~原環濠遺構②~

高崎市史No.42-2「原環濠遺構」関口屋敷のほんの100mほど東側のところにあったのが斎田屋敷。...

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関口屋敷 ~原環濠遺構①~

高崎市史No.42-1「原環濠遺構」北は黒崎屋敷に接し、北東には中尾城、西には小八木新井屋敷に近接する場所にあったのが原環濠遺構。ここも複数の環濠屋敷から成り立っています。三夜堂(観音堂・二十三夜堂)原環濠遺構の中心北寄りにあるお堂。現地説明板では「さんや様」と表記され、本尊は慶長18年(1613)に安置されたものであるという。お堂そのものは昭和9年に改築されたもの。資料の図からはこの三夜堂周辺にも環濠の跡があ...

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中尾城 ~湮滅した大規模城郭~

高崎市史No.44高崎市中尾町の観窓寺の周辺に築かれていたのが中尾城。規模は430m×530mで、その城域は高崎市史記載の城館の中では比較的大規模な部類に属します(近世城郭である高崎城は除いて)。 観窓寺...

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宝門寺館 ~上日高屋敷②~

高崎市史No.46-2「上日高屋敷」田村屋敷とともに上日高屋敷を構成する屋敷群の一つ。高崎市史の上日高屋敷の項では「宝門寺も一郭を形成し、この北にも複郭の屋敷が想定できる」とあり、便宜上宝門寺館として掲載します。 日高神社の北側にある宝門寺。なかなかアグレッシブな駐車をしている車があります。私も日本全国至る所で似たようなことをしてきているので何とも言えませんが、近年では駐車は最大限周囲に配慮するよう心がけ...

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田村屋敷 ~上日高屋敷①~

高崎市史No.46-1「上日高屋敷」「日高環濠遺構群」から関越道沿いに北西に進み、上越線の手前付近にあるのが「上日高屋敷」。高崎市史の図を見るとここも複数の屋敷群を一つの環濠屋敷としてまとめています。その中で中枢の屋敷跡として名称が記載されているのが田村屋敷。日高神社の西側に隣接して所在していたとあります。 日高神社狭い路地を抜けて神社発見。目標物として近くに神社や寺があると分かりやすくて大いに助かります...

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日高湯浅屋敷 ~日高環濠遺構群~

高崎市史No.47「日高環濠遺構群」高崎市日高町の村主神社東側をはじめとした一帯に複数の環濠遺構が見られており、高崎市史ではこれらをまとめて日高環濠遺構群としています。その中でも中心となっている遺構が湯浅屋敷で、複郭の環濠屋敷であったといいます。 村主神社「村主」は古代渡来系氏族の姓の一つ。また神社西を走る道は「日高道」と呼ばれる上野国の国府への直線道路で、この「直路」を「すぐろ」と読ませ、同じ読みの「...

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砂田屋敷 ~井野環濠遺構②~

高崎市史No.37-2「井野環濠遺構」井野環濠遺構の一つで、与五右衛門屋敷の東側に近接してあったのが砂田屋敷。遺構面の資料は残っているものの、沿革等は不明。資料によると規模は東西110m×南北170mほどで、自然流路を堀として利用していたという。本郭中心付近...

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与五右衛門屋敷 ~井野環濠遺構①~

高崎市史No.37-1「井野環濠遺構」JR井野駅のすぐ東側にある複数の環濠屋敷群を、高崎市史ではまとめて井野環濠遺構としています。そのうち西側の遺構が与五右衛門屋敷の跡。本郭と外郭を備えた複郭構造で、外郭は西側を天然の小流に依存しています。屋敷南西側堀跡である水路の形状や墓地の所在など、資料の図の通りとなっています。...

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専福寺館 ~寺院城館の一つか~

高崎市史No.38「専福寺」貝沢東新井屋敷の北方300mほどのところにある専福寺境内が館跡。規模は110m×100m、沿革等詳細は不明。高崎市史の表記は「専福寺」ですが、便宜上「専福寺館」として掲載。...

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貝沢東新井屋敷 ~和田城の外堡~

高崎市史No.39高崎市貝沢町字北にあったのが貝沢東新井屋敷。館主は資料にも名が残る新井雅楽之助。規模は210m×150mで、東西2郭で内郭を形成し、周囲を外郭で囲う複郭式の構造。規模や構造面から、単なる屋敷ではなく和田城の外堡の役割を担っていたと考えられています。主郭北側 堀跡らしき奥には一部土塁跡らしきも確認でき、位置的には高崎市史の図や説明にある土居の場所と一致していますが、周囲の改変も著しく残存遺構か...

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浜川館② ~長野氏の本拠地~

乙業館を後にし、すぐ南にある浜川館へ。訪問するのは実に9年ぶりか(記事は2011年作成だが前回の探訪は2008年)。同じところを何回も訪問しないという定めは、日々こだわりがなくなっていき軟体生物のようになった私に残された最後のポリシーのようなものですが、今回のケースでは移動の最短経路上にあるので、わざわざ避けて遠回りすることもありません。様子を見ながら通過しようとしたところ、むむ!説明板らしきを発見!これ...

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乙業館 ~長野乙業の館~

高崎市史No.20与平屋敷の北東460mほどのところにあったのが乙業館。長野乙業の館とされる。乙業は武田信玄を何度も撃退したことで名高い長野業正の祖とされるものの、長野氏の系譜には不明な点が多く、乙業から業正までの繋がりははっきりしません。さらに乙業自身の事跡についても、浜川の地に館・砦を築いたということ以外はよくわからず。館跡 北辺付近...

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与平屋敷 ~中世鍛冶炉遺構~

高崎市史No.21高田屋敷の北西300mほどのところにあったのが与平屋敷。館主等沿革不明。資料の図を見ると方形館ではなく囲郭式の平地城館であった可能性があります。...

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高田屋敷 ~高田小次郎 にほひ中黒~

高崎市史No.22矢島砦の北東270mほどのところにあったのが高田屋敷。築城者は定かではありませんが、「関東幕注文」の箕輪衆の中に「高田小次郎 にほひ中黒」とあるなど、妙義町に拠点のあった高田氏との関係が推定され、長野氏武士団の居館であったと考えられています。ちなみにこの高田小次郎、後期高田館の項でも一度登場しているので参照のこと。...

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矢島砦 ~ためしまれなるおぼえの衆~

高崎市史No.24長町屋敷の南東に近接して築かれていたのが矢島砦。規模は150m×270mほど。この地域に密集している中世城館群の中では珍しく沿革が比較的判明している城砦で、長野氏の重臣・矢島久左衛門定勝(貞勝)の砦とされます。砦中枢部付近はい、現状は圃場整備により消滅してしまっています。砦域は南側にある保育園付近まで広がっていますが、いずれにせよ遺構はありません。ただこの砦については圃場整備前に詳しい発掘調...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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