記事一覧

篠山城④ ~よみがえった大書院~

本丸天守台を後にし、最後に残した大書院へ。・・・の前に、二の丸の紹介をもう少し。二の丸御殿跡(前回訪問時)二の丸は、大書院・小書院・中奥御殿・奥御殿・台所などの建物と築山を持つ庭園があり、儀式・執務を行う場と城主の生活空間の場でした。しかし大書院を除く建物は廃藩後には取り壊され、唯一残っていた大書院も昭和19年に焼失しています。...

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篠山城③ ~天守のない堅城~

いよいよ二の丸へと進みます。一般観光客目線でいくと、ここからが城内といった感じでしょうか。...

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篠山城② ~天下普請の高石垣~

大手から外堀を渡り三の丸へ。するとそこは・・・三の丸広場はイベント会場と化していた。この日(平成27年10月10日)はちょうど「丹波篠山味まつり」の開催日。江戸時代、山陰道の要衝に築かれた篠山城。城を中心に街が広がり、街道が整備されました。人が集まるところに文化が生まれ、その文化は京都の影響を色濃く受け、歴史的な町並みや祭りなどに京文化のみやびな伝統を受け継いでいます。今では、その豊かな歴史と農産物とと...

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篠山城① ~縄張りの妙・3つの馬出~

歴史美術館から南へ進むとすぐに篠山市役所です。市役所前にある像日本遺産に認定された「デカンショ節」を踊り歌う様子。...

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金山城② ~鬼の架け橋~

前回ラストの分岐は左手の「鬼の架け橋」への道を進みました。 登っていくと、適度に樹木が伐採され、見晴らしのいい場所に到着。この平場は城の西郭に当たります。...

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金山城① ~光秀が築いた丹波制圧の拠点~

10月10日早朝、私は篠山盆地の北西、柏原との境にある金山の麓にいました。ここ金山頂上には金山城(きんざんじょう)が築かれています。篠山を巡るブロガー旅行記での私の担当は「国史跡の二つの城をめぐるコース」ですが、この中に金山城は含まれていません。今回私は余計な寄り道はしないで、それこそ篠山城一本に絞って探訪するくらいの気持ちでこの地にやってきたのですが、いかんせん早く着きすぎたため、時間調整のため適当...

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生野城 ~山名氏が築いた境目の城~

生野山城・生野古城とも。応永三四年(1427)、四職の一人である播磨守護赤松満祐が将軍足利義持に反抗して兵を挙げた際、将軍はその討伐を但馬の守護職である山名時熈に命じます。時熈は兵を率いて生野に来て、標高600mの山上に城を築き、満祐討伐に備えました。「銀山日記」には「ここ二十間(約36m)四方の居所を構え、尾崎尾崎に物見をつけ、厳重の要害なり」と記されており、山上から尾根上にかけて建物を作り厳重な陣を築...

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生野代官所 ~天領陣屋~

生野平城・生野陣屋とも。生野奉行(いくのぶぎょう)は、織田信長、豊臣秀吉および江戸幕府により置かれ、生野銀山を管理した。1716年(享保元年)、生野銀山の産出量減少のため、生野代官(いくのだいかん)に組織変更された。奉行所・代官所は、現在の兵庫県朝来市生野町口銀谷の生野小学校付近にあった。江戸時代の生野奉行は11代、代官に改組後は28人が勤めた。代官には旗本が任命され、生野銀山の後背地となっていた但馬国、...

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小野口番所 ~鉱山監視~

生野銀山へ入る直前に、説明板を発見。走行中視界の端に入っただけでも反応してしまうこの体質を何とかしてほしいと最近思う。「生野代官所はここに番所を設けて大谷川一帯の鉱石採掘を取り締まるとともに、蜜搬出の監視等にあたらせた」(説明板参照)...

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八幡山城 ~氷上郡侵攻の前線基地~

柏原の街の中央に伸びる丘陵の先端頂部にある柏原八幡神社。南北朝期に南朝の荻野安芸守が足利尊氏に抗して築いた八幡山砦は、この神社から背後に登る山地の上部までを砦域とした単純な連郭式の山城だったと考えられます。のちに八上城主波多野氏の家臣小林平左衛門重範が、明智光秀により沢田城を落とされ敗走後、最後に討死したのがこの八幡山城であると伝わります。この時の八幡山城は、南北朝期の戦乱で焼失した八幡山砦に手を...

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柏原陣屋 ~織田家統治の地~

慶長3年(1598年)織田信長の弟信包が3万6千石で入り、3代続くが慶安3年(1650年)嗣子なく断絶した。以後45年の長きにわたり天領となった。元禄8年(1695年)信長の次男信雄の孫の宇陀松山藩主信休がお家騒動の咎により領地を半減され2万石で入る。移封より19年経た正徳3年(1713年)幕府より陣屋を築く事が許された。以後10代にわたり織田氏が治め、明治にいたる。(wiki参照)柏原歴史民俗資料館の真向かいに陣屋はあります。立...

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黒井下屋敷 ~春日局出生の地~

*黒井城編がまだ未完ですが、諸事情により先に進みます。黒井城から下山後、続いてすぐ近くにある興禅寺へ向かいます。この興禅寺が、かつての黒井城の下屋敷(下館)にあたります。興禅寺前にある案内板。拡大。黒井城に入城した赤井直正は土豪の奥村氏の屋敷跡を改修、下館とした。黒井城は直正が病死した翌年に明智光秀によって落城、光秀は家臣の斎藤利三を城代に置き、禄2万石を与え、下館を陣屋に定めた。ここで、徳川3代...

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黒井城② ~朝霧の光景~

その①突然現れたこの門ですが、よく見ると地形図にもきちんと記されています。こんな感じで。 単なる休憩地点かと思いきや、この赤門は、その昔黒井の「西の坊」として杉の下に鎮祭されていた薬師如来堂の門として存在していたのだという。近年修復作業を行った由も記載されています。さて、この場所からの眺めは・・・...

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黒井城① ~日が高くなる前に・・・~

丹波三大山城の一つ・黒井城。今回の旅の前に定めておいた「5つのメイン城郭」。八上城・岩尾城に続き3つ目のメイン城郭となるのがこの黒井城です。南側から眺めた黒井城遠景。堂々たる山容です。...

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岩尾下屋敷 ~和田氏の菩提寺~

山城の常で、岩尾城の麓にも城主の平時の居館が築かれていました。現在親縁寺の建っているところがかつての下屋敷であったようです。〈岩尾城主郭にあった周辺地図〉岩尾城から直接親縁寺へ下山しようとするも、途中で道が消滅したためにたどり着けず。いったん和田小へ帰還し、車で親縁寺を探すことにしましたが・・・旧城下町のメインストリート?からは、目立つ鳥居と石段の神社(=狭宮神社)はすぐに見つけることができたもの...

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岩尾城③ ~蛇山の伝説~

その②天守台背後には、天守台よりも高い地形が残っています。最初は自然地形かと思ったのですが、どうやらこれは土塁で、確認したところ古城物見台としての遺構と判明。...

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岩尾城② ~丹波近世山城の白眉~

その①下知殿丸曲輪の先へ進むと、道はいったん下り勾配になります。尾根鞍部への道。む。この先の地形は、アレだな。...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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