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記事一覧

龍飛砲台 ~津軽要塞重砲兵聯隊~

龍飛崎のレストハウスでマグロ唐揚げ定食が調理されている間に探索したのが龍飛砲台(龍飛崎砲台とも)。レストハウスのすぐ南側が砲台跡地であるということを、これまでいくつかの表示で確認しています。龍飛館内案内マップより龍飛崎駐車場看板より津軽要塞は、大日本帝国陸軍の要塞の一つ。1896年(明治29年)北海道の函館港及び函館湾守備を目的に計画され、1902年(明治35年)に完成した函館要塞が前身で、昭和になって津軽要...

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蓬田城 ~屈指の規模の大堀が残る~

R280内真部バイパス~内真部蓬田バイパスで蓬田村へ。快走路を走ると程なく左前方に木に覆われた小島状の地形が現れ、そのあたり一帯が蓬田城の跡となります。国道からの入り口に城址碑と説明板が設置。蓬田城遠景...

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野辺地城 ~野辺地戦争の舞台~

下北半島の付け根に位置する野辺地町。その町役場の西側に公民館・図書館・資料館が集中している一角があり、そこがかつての野辺地城(金鶏城・野辺地代官所とも)の跡地になります。築城時期は定かでなく、南北朝時代に七戸南部氏の一族、野辺地氏が移住したとされます。康正三年(1457)の蠣崎蔵人の乱では、蠣崎城を本拠とする蠣崎氏の攻撃をうけて陥落したと伝えられます。慶長三年(1598)には、津軽氏に対する抑えとして石井...

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大間四十八館 ~本州最北の城館~

大間崎からわずかに南側に入った微高地に築かれていたのが四十八館(しじゅうやだて)。該当地付近...

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田名部館 ~中世から続く統治拠点~

斗南陣屋の北西、現在代官山公園となっている小高い丘陵上に築かれたのが田名部館(田名部城とも)。近世には代官所が設置されたため田名部代官所として紹介されることも多く、公園の名の由来となっています。 代官山公園田名部館の築城年代は定かではないが、建武年間の頃、八戸根城の南部師行が家臣 武田修理、赤目五郎を目代として置いたところといわれる。康正年間、蠣崎城主蠣崎蔵人が南部氏に背いた際、糠部郡宇曾利郷(下北...

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斗南陣屋 ~本州最北の陣屋~

戊辰戦争に敗れた会津藩主松平容保は謹慎処分となり、所領は没収されますが、明治2年容保の嫡男容大をもって家名再興を許され、陸奥下北の地に3万石(三戸・上北・下北三郡および二戸郡の一部)を与えられて斗南藩を立藩します。 藩庁は一時五戸代官所に置かれたのち、田名部の円通寺に設置されます。円通寺...

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七戸城② ~「姫塚」の伝説~

七戸南部氏と七戸城について<参考サイト>七戸町商工観光課・しちのへ観光協会HP 『歴史散歩』内1 鎌倉時代文治五年(1189)に南部の始祖南部光行が山梨県南部町から糠部五郡(現在の南部地方)をいただいたと言われている。建久二年(1191)に光行の四番目の子どもの七戸太郎三郎朝清が七戸領主となったのが数年後の正治元年(1199)と言われている。この朝清は、七戸氏および久慈氏の先祖となると伝えられている。 また、朝...

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七戸城① ~七戸南部氏の大城郭~

-半年近くぶりの探訪記本伝再開-伝法寺館を後にし、R4を北上して十和田市から七戸町へ。「町役場七戸庁舎」に到着。七戸城はこの庁舎裏の丘陵上にあります。ちなみに七戸町は2005年に天間林村と合併しており、新七戸町の本庁舎は旧天間林村役場の位置にあります。新たな町全体のバランスなど総合的に考えての判断なのでしょう。...

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伝法寺館 ~南部氏家臣・津村氏の居城~

五戸町図書館を後にし、R4奥州街道を北上。次なる目的地は3日目メインの探訪地である七戸城!七戸の中心部まで26㎞快調に車を走らせていると、ふと視界に気になるものが横切る。急遽Uターン。...

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五戸代官所 ~「五戸通」28カ村を統治~

対津軽の前進基地として築かれた五戸館は、江戸時代に入っても周辺地域を治めるための拠点として存続し、寛永12年(1635)ごろには盛岡南部藩28カ村(三戸郡下13カ村、北郡下15カ村)を統轄した五戸代官所が同地に設置されます。説明板には三戸郡と北郡合わせて28カ村が「五戸通」の管轄に入っていた旨が記されています。南部盛岡藩の代官所跡を訪問したのは大槌代官所・野田通代官所に続いて3つ目。この地域特有の行政区分である...

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五戸館 ~対津軽前進基地~

五戸古舘から五戸館へ。該当地は現在五戸町図書館が建っている一帯。地形図。古舘と似たような要害の地に築かれています。五戸館は対津軽の防備を考え三戸城の前進基地として木村秀勝によって築かれたとされ、これによりそれまで五戸古舘にいた木村氏は五戸館に移ったと考えられます。築城は南部26代信直の命令というので天正末期から慶長年間にかけてと思われます。...

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五戸古舘 ~南部氏被官木村秀清の館~

八戸市博物館を後にし、続いてお隣の五戸町へ。五戸古舘の跡地であるという町役場へ向かいます。 五戸町役場                周辺地形...

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根城③ ~土の城 建物復原のパイオニア~

主殿を後にし、そのほかの本丸内を見て回ります。 本丸跡の碑と大いちょう。この大いちょうは築城当時からのものと伝えられていますが、樹齢はわかっていません。高さ20mを越える大木。...

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根城② ~復原された中世の城~

中館から本丸へ。土橋状になったところから進みます。本丸は周囲を柵で囲まれており、その周りには深い堀。堀幅は約15m、深さ約8m。...

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根城① ~北奥羽を治める「根の城」~

八戸城の次に向かうは日本100名城の一つ・根城!訪問するのは2012年9月の第1次北東北遠征以来4年ぶり。特段の事情がないかぎり同じ城館の再訪は極力しないというのが大原則(というか新規登城を優先させると必然的にそうなるだけ)ですが、この城に関しては本公開する前に写真データが消滅してしまったので、再訪優先順位は比較的高かったところ。個人的には記事を作成してようやく攻略完了扱いなので、これまで半分未訪状態だった...

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八戸城 ~丘に佇む八戸藩2万石の居城~

おがみ神社からすぐ西側にある三八城公園(みやぎこうえん)へ移動。祭りでもあるのか、公園周りには朝から屋台がセッティングされています。三八城公園の碑三八城とは三戸郡八戸城という意味であり、八戸城跡が三八城公園となっている。1644年(正保元年)、南部氏第28代の重直が盛岡で没するが、嗣子がいなかったためにその遺領10万石は、盛岡8万石と八戸2万石に分封され、盛岡は重直の弟である重信が継ぎ、八戸は末弟の直房が領...

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根城(先行公開)

国指定史跡・根城!城郭協会版日本100名城の中でまだ公開していなかった城が残っていたので、ここで先行公開。すばらC...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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