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記事一覧

原中の砦 ~箕輪の支砦の一つ~

箕郷探訪ファイナル・後半戦箕郷町矢原の原中地区、内出の地名が残る場所が原中の砦の跡(原中内出とも)。規模は方75mほど。...

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忠兵衛屋敷 ~詳細不明の屋敷~

群馬県の城館探訪のバイブル『群馬県古城塁址の研究』に気になる表記が。『群馬県古城塁址の研究』下巻 上善地の砦より「内出」の表記の段が砦跡。その上段に忠兵衛屋敷なる名称が見られます。この屋敷については同書本文にも名称だけ記載されていますが、沿革等詳細は不明。...

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上善地の砦 ~箕郷のもう一つの百観音~

箕郷探訪ファイナル・後半戦妙福寺砦から県道126号を山に向かって進む。下善地の砦を越え、中善地地区も過ぎ、県道154号線との交差を右折。月波神社を過ぎ道が左にカーブする左手頭上に築かれたのが上善地の砦(上善地の内出・上内出とも)。この場所は写真消滅のため再訪となります。砦下から...

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妙福寺砦 ~箕輪城裏鬼門の守り~

箕郷探訪ファイナル・後半戦箕郷町西明屋にある妙福寺。長野氏が長野の郷(北新波砦から浜川館を中心とした周辺一帯)に居住していたとき、現在の浜川町に祈願所として建立された寺院で、長野業政の代に箕輪城の裏鬼門の護りとして現在地に移されたと伝わります。 妙福寺は子育てと安産の神として知られる鬼子母神を祀り、毎年11月12日に行われる「子育鬼子母神大祭」は多くの人で賑わうとのこと。春には境内の枝垂れ桜の古木が...

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富岡稲荷山砦 ~童子山砦と別城一郭~

箕郷探訪ファイナル・後半戦童子山砦から、東隣にある稲荷山砦へ。北側から。左が稲荷山、右が童子山の南半分。稲荷山は低丘陵ながら東側が断崖になっており要害性あり。地形的には北側先端から登るのが一番容易です。...

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富岡童子山砦 ~稲荷山砦と別城一郭~

箕郷探訪ファイナル・後半戦旧箕郷町の城館の悉皆調査・ファイナルの陣*。(*ただし後日、新規城砦として摺臼岩狼煙台・鐘撞山狼煙台・玉木山狼煙台が判明したため完全攻略はまた後日)箕郷町の富岡地区にある二つの独立した小丘陵(西の童子山・東の稲荷山)に砦が築かれていたとされ、これらを合わせて富岡の砦と呼んでいます。この砦はだいぶ以前に攻略済みですが、公開する前に写真消滅してしまったため再訪。こういった場合、...

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下芝の砦 ~青柳忠家の子治部が居住~

箕郷探訪ファイナル・前半戦青柳屋敷の東900m弱ほどのところにあったのが下芝の砦。城郭大系には「青柳忠家の子治部が居住」とあります(『箕輪軍記』にも記述*あり)。『群馬県古城塁址の研究』に収録の山崎先生の図を見ると、該当地は現在住宅密集地となっている場所のど真ん中になっています。*「内藤修理は・・・保渡田城に居住して西上州七郡を治めた。・・・青柳治部を下芝に配置し」...

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青柳屋敷 ~青柳金王忠家、主家に殉ずる~

箕郷探訪ファイナル・前半戦箕郷町下芝、榛名白川の東岸に面した場所に築かれたのが青柳屋敷。城郭大系には「青柳金王忠家の屋敷」とあります。青柳忠家は箕輪長野家の家臣で、長野十六槍の1人。長野十六槍といえば剣聖・上泉信綱を筆頭に、藤井友忠(勝頼の首をとる寸前まで追い込んだ第一の家老)、白川満勝(白川砦将)、岸信保、大道寺信方などが挙げられていますが、16名全員の名は現時点ではつかめていません。いっそのこと...

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観音山小栗邸 ~小栗の眺めた景色~

2018年1月 倉渕探訪ファイナル木戸沢番所の探訪後、ナビを見ると近くに鬼神岩の表示があったのでついでに訪問しようとしたものの、山中を彷徨い時間と体力を消耗しただけで失敗。この探索については城館の在庫がなくなって気が向いたら記事にするかも。気を取り直して続いて訪れたのが観音山小栗邸。小栗上野介についてはここでは改めて紹介はしません。この記事やこの記事などで軽く触れていますが、いずれ特集でゆかりの地をま...

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木戸沢番所 ~二度上峠からの間道を警護~

2018年1月 倉渕探訪ファイナル1月下旬の快晴の日、旧倉渕村の城館コンプリートを目指して出陣。R406で烏川沿いを遡り、権田交差点を左折しr54へ。二度上峠へ続くこの道を走るのは2014年夏の浅間隠山登山の時以来。その浅間隠山さすがの貫禄。ちょうど進行方向正面に見え隠れし、頂上付近はうっすら白くなっています。...

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権田城② ~大軍駐屯地に改修?~

2017年12月 大戸・権田探訪高崎市指定史跡・権田城!この城を訪問するのはこれが3度目。特別な事情がないかぎり一度訪れたところには極力再訪しないことを唯一の信条としている私としては異例中の異例。これまでの経緯を振り返ります。1度目の訪問は2007年冬。ちょうど10年前のことになりますか。先人たちの情報を頼りに道路地図に印をつけ、それをもとに城域にまでは達したものの城の表示物を発見することができずに撤退しており...

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権田住政重屋敷 ~上州権田住刀工~

2017年12月 大戸・権田探訪倉渕町権田の権田駐在所から高崎側に100mと離れていないところにあったのが刀工・上州権田住政重屋敷跡。国道沿いに説明板が設置されています。説明板刀工権田住政重は戦国時代から江戸末期までその系譜をもつ刀鍛冶であり、刀銘は古刀期から「政重」があり、江戸期に入ると「金重」の銘も見られます。権田政重の系譜を継ぐ蟻川若狭守は、北毛の鍛冶職人を統括し、沼田の土岐市や川越の松平氏に仕えて...

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岩崎城 ~岩崎神社と弁天池~

旧吉井町の城館探訪本郷城の北東1.2kmほど、鏑川北岸の小さい山稜上に築かれたのが岩崎城。岩崎山密蔵院覚性寺に所在する位牌等から岩崎入道(左衛門)が居城していたとされますが、岩崎氏についての詳細は不明。   城の築かれた山稜の南麓には岩崎神社があるのでこれを目標にするとわかりやすい。神社境内裏には妙に高い石塔があったりして目を引いたりします。...

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本郷城 ~古墳の櫓台~

旧吉井町の城館探訪塩川城から北西800mほど、鏑川に面した河岸段丘突端に築かれたのが本郷城。沿革等詳細は不明で、永禄6年(1563)の武田信玄の侵攻により落城したといいます。城域内には遠目からも目立つ古墳があります。主郭東側にあるこの古墳は本郷城の物見の櫓台(「辰のやぐら台」)として利用されていたとのこと。案内表示等はありませんが「マッピングぐんま」には「丸木山」の記載があります。鏑川に面した台地上にはこ...

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塩川城 ~陽気軒のジャンボ餃子~

旧吉井町の城館探訪吉井陣屋の北西600mほどにあったのが塩川城。永禄6年(1563)の武田信玄侵攻時の城主は菅沼大膳之孝(之常)で、徹底抗戦したものの寡兵のため遂に落城したといいます。 西から来る武田軍を防ぐ防衛線であったであろう大沢川。塩川城はこの川のすぐ東に築かれていましたが、遺構は宅地化により完全消滅しています。...

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神保植松城 ~完全消滅と思いきや~

旧吉井町の城館探訪多胡下城から700mほど北西にあるのが神保植松城。表記は他に植松城、神保城とも。すぐ西にある神保館との混同を防ぐためここでは神保植松城を採用します。辛科神社神官神保氏の居城であったと推定されています。 肝心の城の主要部分は上信越自動車道の建設により消滅しています。上信越道沿いにはそういった城館がいくつかありますね。写真は「植松橋」から眺めた主郭があった付近。...

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多胡下城 ~猛烈藪地獄~

旧吉井町の城館探訪別名金沢城とも。多胡氏が築いた城とされ、「多胡上城」の別名を持つ八束城との関わりもあるとされますが、詳細は不明。場所は多胡城の南方1㎞強ほどの丘陵の頂上。上信越道を越えるとすぐに城域へと伸びる林道があるのでそこを進む。すれ違い不可の狭路ですが、奥の肥料置き場へ行く以外事実上通行はない道なので、でかい車以外なら何とか進めるでしょう。地図では頂上まで細い車道が繋がっているように見えま...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。
© 2010 城館探訪記

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