記事一覧

大戸平城 ~手子丸城主大戸氏の城か~

2017年12月 大戸・権田探訪大戸関所の南西300mほどにある丘陵上に築かれていたのが大戸平城。手子丸城(大戸城)主・大戸氏(浦戸氏)の城と考えられているものの、詳細は不明。大手口は北東側で、先人たちの記録を見てもそちら側から登城しているものが多いですが、「マッピングぐんま」の位置図を見て台地基部の南側からの登城のほうが容易に思えたので搦手へ。こちらに向かうルートは道は狭く駐車場もありませんが、城域に向...

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大戸関所 ~国定忠治の関所破り~

2017年12月 大戸・権田探訪東吾妻町大戸、R406草津街道大戸交差点の脇に大戸関所の跡があります。大戸関所この時の探訪の目的は以前に攻略が不完全だった城館の再攻略と、小栗上野介関連の史跡を巡ること。ここ大戸関所も以前手子丸城(第1陣)の項で触れており再訪となるのですが、単独項目で掲載していなかったのでついでに立ち寄りました。...

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原町陣屋 ~岩櫃破却後の統治拠点~

東吾妻町のメインの市街地である原町地区の中心部、「御殿」の字名を持つ場所に築かれていたのが原町陣屋。現在原町赤十字病院が建っているところの周辺が陣屋跡地です。陣屋現況一国一城令による岩櫃城破却後、城下に新たに設けられたのがこの陣屋で、真田家臣の出浦対馬守盛清が代官となります。出浦対馬守は岩櫃破却以前から城代として吾妻の地の統治を行っていたと考えられます。...

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大笹関所 ~信州街道の関所~

吾妻からR144長野街道(信州街道)を鳥居峠に向かって走り、嬬恋村の大笹地区の集落を越えようかというところに唐突に左手に関所が現れます。看板表示と関所門。駐車場有り。...

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大友館 ~豊後守護・大友刑部氏時の館~

2015年冬、古仲城の次に向かったのが川場村にある大友館(別名川場館)。尾瀬高校のところからr64奥利根ゆけむり街道で山越えし川場村へ。川場村役場の北方にある桂昌寺周辺が館跡なのでそこを目指します。   桂昌寺。境内には「かんのん山」という比高1.5mほどの土盛があり、仏足石が置かれていたりします。...

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古仲城 ~上州最奥の城~

2015年冬、寄居山城の次に向かったのが古仲城。『日本城郭大系』では「小中城」の表記で掲載されています。片品川上流のかなり奥まった場所に位置し、大系には「これより上流には城館跡は存在しない」とまで書かれています。R401で片品温泉を越え、古仲地区付近で国道から降り片品川西岸を北上。大圓寺を過ぎてさらに川に沿って細道を進んだところに城への表示があります。案内表示。車は周辺の余白に駐車可能。ちなみに私はみなか...

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寄居山城 ~鎌田宿を掌握する拠点~

2015年冬。北毛地区の城館の取りこぼし回収のため、まだ完成して間もない椎坂トンネルを越え片品村へ。片品村役場の南、片品川の湾曲部に突出する丘陵(寄居山)上に築かれたのが寄居山城。現在は寄居山公園として整備されています。すぐ隣には「ほっこりの湯」という温泉センターがあるのでそこを目標にしても到達できます。...

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市城砦 ~『加澤記』記載の境目の砦~

在庫処分期間の第1城は、久々に群馬県内の城から。2015年7月、岩櫃乱舞を見に行った時の帰り道。中之条町からR353を渋川方面へ走っていると不意に説明板を発見。反射的に手前の余白スペースに停車。国道からの様子。場所は中之条町と渋川市との境目からわずかに中之条側に入ったところ。入口手前の余白以外には駐車スペースはなく、交通量も結構多いのであらかじめ予測していないと通り過ぎてしまうかもしれません。...

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柳沢城① ~修験道の岩山~

上州の名城・岩櫃城。西は岩櫃山の岩峰、北は薬師岳へと連なる奥深い山々、南は吾妻川の断崖に守られたまさに天嶮の地。そして残された城への進攻路である東側を抑えるために築かれた支城が、この柳沢城になります。老舗サイト「埋もれた古城」に掲載されていた登城記を読んで以来、いつか行ってみたいと思っていたこの城ですが、2010年秋、ついに登城することができました。登城時にこの城について私がネット上で確認できたのは上...

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富士浅間の砦② ~超絶藪地獄~

その①前回ラストの平場。ちょうど頂上から左右に延びる尾根に挟まれたような場所になります。頂上へ登るにはどちらかの尾根に取り付くのが常道です。まず左手側の尾根(西尾根)に進んでみたものの、藪と灌木に遮られNG。右手の尾根(南尾根)も藪がぎっしり。さてどうしたものか。...

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富士浅間の砦① ~名胡桃城の狼煙台~

某年10月。ふと、かねてより気になっていた砦を攻略してみようと思い立つ。その砦とは、名胡桃城の項で少し触れた富士山狼煙台。名胡桃城から見た富士山狼煙台(再掲載)。旧文化財情報システム(現在はマッピングぐんまへ移管)や当時の現地資料では富士山狼煙台の表記でしたが、「中世城郭調査報告書」には富士浅間の砦という名称で記載されており、最近の現地資料でもそのように紹介されているようなので、以下本項もそれに習い...

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箱崎城 ~藪に沈む~

旧新治村役場の背後、西方より続く台地の先端が鉤形になっている部分に築かれたのが箱崎城です。城の西から南は須川川が流れ天然の堀となっており、城の東で赤谷川と合流します。そして赤谷川沿いには三国街道が続きます。要害地形と交通の要衝を上手く抑えた立地といえます、天文10年(1541)以後、布施の地侍衆原沢大蔵が守り、森下又左衛門が城代をつとめたこともある。(「須川記」参照)ちなみにこの城、ネットで登城記を掲載...

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稲荷城② ~変形五角形土塁~

その①虎口から入城すると、土塁に囲まれた平場に出ます。ここが主郭内です。館を建て生活するには充分の広さで、有事の際にもそこそこの兵力を駐屯させることができそうです。一つ残念な点は、ここにも城址碑・標柱・説明板といった表示物の類がまったくないこと。...

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稲荷城① ~吾妻氏在城~

吾妻太郎助亮が建久年間(1190~99)に居住していたと伝わる。その子助光も居城したというが、承久三年(1221)の承久の乱に際して宇治川で討死し、同族の下河辺行家が吾妻氏を継承した。行家の子・吾妻庄司助行重もまた稲荷城に住んだと伝わる。また吾妻四郎助光が宇治川で戦死した後、吾妻氏の実権は家臣の大野・塩谷・秋間三家に移ったが、大野憲直の時、塩谷・秋間両氏を圧倒して岩櫃に新城を築いて移ったという。(城郭大系等...

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古谷館 ~幻の勝頼居館~

小谷館(城郭大系)・古屋館とも。一般的には潜龍院跡の名で知られています。この日の記事でちょろっと書いて以来在庫の山に埋もれていましたが、ようやく掲載が追いついてきました。未紹介物件はまだ県内だけでも消化するのに数年はかかる数が残っているのですが、なんだかんだいって在庫の数は確実に減ってきています。新規登城のない夏の間にもうひと踏ん張り。上記の記事で掲載した写真。潜龍院跡から見上げた岩櫃山です。今回...

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真田陣屋 ~悪政、ここに極まれり~

真田氏というと講談で有名な幸村の影響もあってか全国的に人気が高い一族となっています。上州にも真田氏関連の史跡が多く、特に小松姫のエピソードで知られる沼田などは上田・松代に並ぶ真田氏の本拠ともいえるところで、真田人気は高いと思われます。しかしそんな真田一族の中にも、悪政で名高い領主がいました。その領主は真田伊賀守信利。真田信之の直系の孫にあたります。信利は10万石の松代藩に対抗するため、寛文2年(1662...

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天神城② ~沼田氏悲劇のお家騒勤~

その①主郭への最後の登り。雪の下の地面の状態が全く分からないので慎重に進まざるを得ません。道は右側へ傾斜しているので転落防止のためできるだけ左側を進みたいが・・・...

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プロフィール

KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日生野菜摂取しないと死ぬ。
© 2010 城館探訪記

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