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記事一覧

富岡城 ~結城合戦に関連あり?~

2018年1月 富岡探訪この日ラストに訪問したのが十王山の砦の本城である富岡城。近年新たに切り開かれた県道10号バイパス。見事に尾根を、というか山陵そのものを断ち切っています。分断された向かって左手の山上に築かれたのが十王山の砦、右手の山上に築かれたのが富岡城。...

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十王山の砦 ~富岡を一望する烽火台~

2018年1月 富岡探訪星田城の次に訪れたのが十王山の砦(十王山烽火台とも)。場所はずばり富岡中心市街地の北側にある城山公園山上。城山公園駐車場 山上への道                  ベンチまずは公園南側にある無料駐車場へ。地図を見ると北側から山上まで車道が伸びているようですが、かなり遠回りになることと道幅が不安なことから、無難に駐車場から山を登ることにしました。比高はそれほどでもありませんが、...

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星田城 ~崖線に臨む城~

2018年1月 富岡探訪田篠の内出の次に訪れたのが星田城。鏑川と高田川が合流する場所の北岸に築かれた城で、城主等詳細は不明。城に向かう途中R254富岡バイパスの下をくぐると「城下公園」という名称の公園があるのですが、この「城下」がどこの城のことを指しているのか不明。距離的に一番近いのは星田城なのですが、川を挟んでいて地区も異なっているため関連性は薄いと思われます。ここから高田川を渡って進むとすぐに右手に塁...

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田篠の内出 ~玉石垣の集落~

2018年1月 富岡探訪高瀬陣屋の次に訪れたのが田篠の内出。鏑川と雄川に挟まれた半島状の合流点に所在し、中内出の地名も残りますが、内出(砦)の沿革は不詳。川に挟まれた先端部近くには慈覚寺があり、ひとまずそこを目指します。慈覚寺寺院の建つ場所はちょっとした高台になっており、このあたり一帯が砦の中心部分であるように思えますが、特に遺構はありません。...

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高瀬陣屋 ~溝口氏の分地陣屋~

2018年1月 富岡探訪黒川城の次に訪れたのが高瀬陣屋。場所は上信越道富岡ICそばにある光厳寺のすぐ北側下の平地。高瀬陣屋は越後国新発田藩主溝口秀勝の次男・溝口伊豆守善勝が慶長14年(1609)幕府より二千石を賜わり、現地支配のために設けた陣屋であるといいます。江戸中期には藩主が陣屋を引き払って江戸に移り、それによって陣屋も廃止されたとのこと。...

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黒川城 ~渋谷次郎高重、黒川郷を賜る~

2018年1月 富岡探訪金毘羅山の砦の次に訪れたのが黒川城。場所はもみじ平総合公園の南、雨宮神社のすぐ西側の台地上先端になります。南側斜面にある不動尊を目標にするのが分かりやすい。不動尊近くの路地は狭いので車は近くにある黒川ふれあい公園の駐車場へ。ちなみにこの城、グーグルマップを拡大していくと誰が登録したのか城名が表示されるのですが、その表示位置が実際の場所とかなりずれているので注意が必要です。  公...

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金毘羅山の砦 ~小幡羊太夫伝説の残る砦~

2018年1月 富岡探訪この日1か所目の高林城の探訪を終え、続いて訪れたのが金毘羅山の砦。もみじ平総合公園の交差点を西に進み、上黒岩地区と黒川地区の境付近で道がカーブしている場所の西側の山上にあります。上黒岩地区と黒川地区の境にあたる切り通し地形。左手の山上に砦が築かれていました。カーブ部分に広い余白があるので駐車には困りません。...

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一ノ宮氏館 ~貫前神社の神官屋敷・東~

2017年12月 下仁田・富岡探訪弥勒屋敷の東およそ500m、貫前神社を挟んでちょうど台地上の対称の位置に築かれたのが一ノ宮氏館。尾崎氏と一ノ宮氏はともに貫前神社の神官であり、それぞれ神社に近接して館を築いていました。両者が並び立っていたのか、交代した時期があったのか、そのあたりの詳細は不明。そちらに向かう前に、ちょいと貫前神社に立ち寄り。上野国一之宮 貫前神社これだけの規模の「下り参道」を持つ神社は全国...

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弥勒屋敷 ~貫前神社の神官屋敷・西~

2017年12月 下仁田・富岡探訪吉崎城などを探訪した日、大山城の次に訪れたのが弥勒屋敷。上州一ノ宮・貫前神社の西側台地上に位置します。マッピングぐんまでは阿弥陀堂遺跡(城館)と表示されている付近になります。主郭東側付近。手前から左に折れる道路が主郭東側の堀跡に該当するようです。ここを直進すると左手に主郭北側の城塁が現れます。...

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原の内出 ~横尾丹波守の墓が残る~

2017年12月 下仁田・富岡探訪蚊沼の内出の北東約1km、原地区にある八幡宮から原公会堂付近にかけて築かれていたのが原の内出(別名丹波屋敷)。これまでも何度か説明していますが、特に上州長野氏支配地域においては内出という地名は砦を意味しています。城主は横尾丹波守。天文年間(1532~1555)頃に築かれたとされます。城郭大系によると上田原合戦に敗れた横尾丹波守が当地に逃れ居館を築いたという。...

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蚊沼の内出 ~五角形の砦~

2017年12月 下仁田・富岡探訪平賀城の北西約1km、昌福寺付近に築かれたのが蚊沼の内出。城主等詳細不明。 昌福寺。高台の突端にあり、現在も南側から見ると高さのある石垣に囲われているため砦感があります。境内には「十二支守り本尊」という石像が並んでいます。内出(砦)の中心はこの寺に隣接した北東側付近のようで、現在は数件の宅地となっています。城郭大系によると砦は五角形の形状をしていたようで、道路の形状から何...

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平賀城 ~上信越道により分断~

2017年12月 下仁田・富岡探訪原城から北へ1km弱、富岡市中沢字平賀にあったのが平賀城。平賀真斎の城というが詳細は不明。写真は城域中心部手前の様子。周囲よりもやや高まった地形となっており、微高地上に城が築かれたことは何となくわかります。ただし明確な遺構はなく、さらに現在は城の中心部を上信越道が貫通しており、城域は東西に分断されています。...

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原城 ~「南蛇井城」のほうが・・・~

2017年12月 下仁田・富岡探訪富岡市南蛇井、鏑川に面した丘陵の先端に築かれたのが原城。下仁田インターから川を挟んでちょうど真西の位置にあたります。南蛇井氏の城であったといいますが、詳細は不明。ちなみに南蛇井は「なんじゃい」と読み、珍読地名としてテレビで取り上げられたこともあるほど。どうせなら原城という特徴のない名称でなく、珍しい地名を冠して南蛇井城とすればよかったのにと思います。...

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馬山堀ノ内 ~信州街道を押さえる施設か~

2017年12月 下仁田・富岡探訪下仁田町馬山には「堀ノ内」という字名が存在し、中でも現在安養院が建っている付近は北側に北堀、南側に南堀という地名が残ります。ここに城館があったとされます。...

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鷹ノ巣城 ~関東管領家の高級被官~

2017年12月 下仁田・富岡探訪下仁田町吉崎、鏑川と南牧川が合流する場所にある「青岩公園」のすぐ南の台地上に築かれたのが鷹ノ巣城。『城郭大系』には小幡三河守信尚の城、『上州古城塁記』には、小幡三河守貞政の居城とあります。青岩公園から。正面の山は大崩山。クリッペ(根なし山)と呼ばれる独特の形状をしていますが、詳細は別項にて。あの険しい山の上には鷹ノ巣城の物見(鷹ノ巣詰城)がありましたが、今回はそちらには...

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西牧関所 ~姫街道往来の関~

2017年12月 下仁田・富岡探訪下仁田町東野牧、R254姫街道沿いにあるのが西牧関所。道路地図で記載されていることも多く、マピオンやグーグルマップなどでは藤井関所の表記になっています。西牧関所跡中山道の裏街道として、女の人も容易に通れるので、姫街道ともいわれた。下仁田町は、昔から物資の集散が多く、幕府の御用砥もここかに集められ、信州佐久米もこの街道を利用した。ここから信州へは内山峠、余地峠、和実峠などへ通...

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羽沢城 ~街道を抑える繋ぎの城~

2017年GW、南牧村に出陣(第1次)した時の記録r93とr201の分岐点、南牧川主流と星尾川が合流する地点に築かれたのが羽沢城。現在城跡には南牧村民俗資料館が建っています。羽沢城現況。石垣の上の平場部分がいわゆる館城にあたるところで、表記は羽沢城屋敷・市川五郎兵衛屋敷・羽沢の砦とも。尋常でなく危険な山城がゴロゴロある南牧村の中で、険しい山上にない稀有な城となっています。とは言っても東・南・西の三方を深い渓谷に...

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KD

Author: KD
由緒ある建造物、急峻な山城、遺構の残っていない平地城館、考証無視の模擬天守、すべて等しく探訪対象。一番好きな瞬間は超マイナーな城館で城址碑や標柱を見つけたとき。毎日欠かさず生野菜摂取中。
© 2010 城館探訪記

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